一般注記「信州デジタルコモンズ」で公開 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104169693
19丁 和装本
ノ左(へっさ)の本名は丸山徳右衛門で、埴科郡西寺尾村(長野市松代西寺尾)で生まれた。通称米蔵。別号来禽亭、半坊、月院社。始め戸倉の宮本舟山に学んだが、のち吉田の茂呂何丸の高弟となる。のち、剃髪して二世月院社を称した。 文久3年(1863)には『蕉門中興一覧集』、明治3年(1870)には『古稀筵集』を刊行。明治21年には一代の秀句を選び、『ノ左句集』を刊行した。 それを見ると、ノ左は自作の句を「春之部」・「夏之部」・「秋之部」・「冬之部」の四季毎に編集し、その後に弟子と思われる満亀と、また長楽と連句を詠じている。さらに、その後にノ左の「咲梅に始る花のあそひかな」の発句に、徳丸が「よる年もなくあたたかな空」と連句し、以下篤石・里仙・静月などの門人と思われる人達が連句をうたいあげる。