<神女>降臨--天平15年5月5日の宮廷から (古代文学と宮廷<特集>)
デジタルデータあり(科学技術振興機構)
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書誌情報
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- 資料種別
- 記事
- 著者・編者
- 猪股 ときわ
- シリーズタイトル
- 著者標目
- タイトル(掲載誌)
- 日本文学 / 日本文学協会 編
- 巻号年月日等(掲載誌)
- 41(5) 1992.05
- 掲載巻
- 41
- 掲載号
- 5
- 掲載ページ
- p10~19
- 掲載年月日(W3CDTF)
- 1992-05
- ISSN(掲載誌)
- 0386-9903
- ISSN-L(掲載誌)
- 0386-9903
- 出版事項(掲載誌)
- 東京 : 日本文学協会 ; 1952-
- 出版地(国名コード)
- JP
- 本文の言語コード
- jpn
- NDLC
- 対象利用者
- 一般
- 所蔵機関
- 国立国会図書館
- 請求記号
- Z13-438
- 連携機関・データベース
- 国立国会図書館 : 国立国会図書館雑誌記事索引
- 書誌ID(NDLBibID)
- 3452969
- 整理区分コード
- 632
- 要約等
- On the 5th of May in the 15th year of Tenpyo, the heir apparent Princess Abe danced the special festival number Gosechi at the party in the inner palace, in front of the audience consisting of lords. This event will be interpreted, in this paper, as a site, at which not only the significances of dancing in the court but the bases for the "sacredness" of the emperor and his sons and daughters were deliber ately rearranged for the purpose of constructing the new image of the "ancient." The "myth," constructed on this occasion, was too heterogenous to be included in the accounts of the origin of Gosechi no Mai after the Heian Period. Nevertheless, this kind of anomaly was frequently allowed to emerge at the 8th-century court, amid the competition of heterogeneous expressions. I suspect that what had been suppressed from the end of the 8th century to the early Heian Period was the fact, as it is apparent to the later view, that the court itself functioned as a site of competition that allowed heretical expressions or acts to be demonstrated.天平十五年五月五日、群臣を前に皇太子阿倍内親王が五節を舞った内裏の宴を、宮廷の舞の意義のみならず天皇や皇女・皇太子の「聖なる者」たる根拠じたいが作為的に組み替えられ、新たな「古」が捻出されようとした現場として読み解く。ここに作為された「神話」はあまりにも突出しすぎていたために、平安朝以降の五節舞起源説にかたり継がれることはなかった。だが、異種の表現どうしが競合するただ中にある八世紀の宮廷においては、こうした突出はここかしこに出現可能であったと考える。八世紀末から平安初期にかけて隠されていったのは、宮廷が実は(後から見れば)異端的な表現や表現行為を産み出してしまうような、競合の現場であったことそのものではなかったか。
- DOI
- 10.20620/nihonbungaku.41.5_10
- オンライン閲覧公開範囲
- インターネット公開
- 連携機関・データベース
- 科学技術振興機構 : J-STAGE
- 要約等
- 天平十五年五月五日、群臣を前に皇太子阿倍内親王が五節を舞った内裏の宴を、宮廷の舞の意義のみならず天皇や皇女・皇太子の「聖なる者」たる根拠じたいが作為的に組み替えられ、新たな「古」が捻出されようとした現場として読み解く。ここに作為された「神話」はあまりにも突出しすぎていたために、平安朝以降の五節舞起源説にかたり継がれることはなかった。だが、異種の表現どうしが競合するただ中にある八世紀の宮廷においては、こうした突出はここかしこに出現可能であったと考える。八世紀末から平安初期にかけて隠されていったのは、宮廷が実は(後から見れば)異端的な表現や表現行為を産み出してしまうような、競合の現場であったことそのものではなかったか。
- DOI
- 10.20620/nihonbungaku.41.5_10
- 連携機関・データベース
- 国立情報学研究所 : CiNii Research
- 提供元機関・データベース
- Japan Link Center雑誌記事索引データベースCiNii Articles
- 書誌ID(NDLBibID)
- 3452969
- NII論文ID
- 110009920542