禅と宗教哲学 (〔日本宗教学会〕第六十三回学術大会紀要特集)
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書誌情報
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- 資料種別
- 記事
- タイトル
- 著者・編者
- 上田 閑照
- シリーズタイトル
- 著者標目
- タイトル(掲載誌)
- 宗教研究 = Journal of religious studies / 日本宗教学会 編
- 巻号年月日等(掲載誌)
- 78(4) (通号 343) 2005.3
- 掲載巻
- 78
- 掲載号
- 4
- 掲載通号
- 343
- 掲載ページ
- 1171~1199
- 掲載年月日(W3CDTF)
- 2005-03
- ISSN(掲載誌)
- 0387-3293
- ISSN-L(掲載誌)
- 0387-3293
- 出版事項(掲載誌)
- 東京 : 日本宗教学会
- 出版地(国名コード)
- JP
- 本文の言語コード
- jpn
- NDLC
- 対象利用者
- 一般
- 所蔵機関
- 国立国会図書館
- 請求記号
- Z9-184
- 連携機関・データベース
- 国立国会図書館 : 国立国会図書館雑誌記事索引
- 書誌ID(NDLBibID)
- 7296177
- 整理区分コード
- 632
- 要約等
- Aus der Begegnung und Auseinandersetzung des Zen mit der westlichen (europaischen) Philosophie entstanden Philosophie von Nishida Kitaro (1870-1945) und Philosophie von Nishitani Keiji (1900-1990). Zwischen dem Zen als Nicht-Denkender Existenzpraxis und dem Denken der Philosophie mit der potenzierten Reflexion liegt eine qualitative Kluft, wie es naheliegt. Bei einer Begegnung von Zen und Philosohie, falls sie irgendwie geschieht, ereinet sich meistens gegenseitiges Ignorieren bzw. gegenseitige Absage. Im Unterschied dazu legten sich Nishida und Nishitani mit eigener Entscheidung je auf eigene Weise in die Kluft zwischen Zen und Philosophie durch gleichzeitiges Zen-Uben und philosophisches Denken, eigentlich ein unmogliches Anfangen, um eine Uberbruckung dazwischen zu bereiten, und zwar auf die Gefahr hin, selber innerlich entzwei zu werden. Dabei war Nishida wie auch Nishitani davon uberzeugt, daβ Nicht-Denken des Zen und Denken der Philosophie seien beide gleich wesentlich notwendig fur die Verwirklichung der vollen und tiefsten Moglichkeit des Menschseins. Bei Nishida und Nishitani als beinah leibhafter Uberbruckung auf der Kluft zwischen Zen und Phlosophie entstanden die Philosophie der Reinen Erfahrung und des absoluten Nichts bei Nishida und die Philosophie der "Leerheit" (Sunyata) bei Nishitani. Unsere Aufgabe ist nun, folgendes zu erhellen : Was fur Philosophie bei den beiden, was fur Religionsverstandnis dabei, und welche Bedeutung von Nishida und Nishitani fur uns in der gegenwartigen Welt?禅と西洋哲学との出会いから成立した日本の哲学として西田幾多郎と西谷啓治の哲学をとりあげ、どのような哲学が生まれ、その哲学において宗教がどのように理解されたか、そしてそのような哲学と宗教理解の特色と現代世界に対してもちうる意義を解明考究することを課題とする。元来禅と西洋哲学は単純に並べられるものではない。非思量の行である禅と高次の反省として西洋思想の動脈をなしてきた哲学との間には、質的な断絶がある。その裂け目に身を置いた西田と西谷において西洋哲学とは思索の性質を異にする哲学が成立した。西田で言えば、「実体」に代わって「場所」、「同一律」の基礎に「矛盾的自己同一」、「主観・客観」図式に代わって「主客相反するものの主客未分のところからの統一」、理性と感性の峻別ではなく、感性の中に働く理性、「神」の底に「絶対無」、近代的な「絶対的自我」ではなく「自己ならざる自己」。禅に触れたところからこのような哲学が成立する過程において、世界への禅の道を「禅思想」として開いた鈴木大拙の同道があった。以上のことは具体的な詳論を要する。
- DOI
- 10.20716/rsjars.78.4_1171
- オンライン閲覧公開範囲
- インターネット公開
- 連携機関・データベース
- 科学技術振興機構 : J-STAGE
- 要約等
- 禅と西洋哲学との出会いから成立した日本の哲学として西田幾多郎と西谷啓治の哲学をとりあげ、どのような哲学が生まれ、その哲学において宗教がどのように理解されたか、そしてそのような哲学と宗教理解の特色と現代世界に対してもちうる意義を解明考究することを課題とする。元来禅と西洋哲学は単純に並べられるものではない。非思量の行である禅と高次の反省として西洋思想の動脈をなしてきた哲学との間には、質的な断絶がある。その裂け目に身を置いた西田と西谷において西洋哲学とは思索の性質を異にする哲学が成立した。西田で言えば、「実体」に代わって「場所」、「同一律」の基礎に「矛盾的自己同一」、「主観・客観」図式に代わって「主客相反するものの主客未分のところからの統一」、理性と感性の峻別ではなく、感性の中に働く理性、「神」の底に「絶対無」、近代的な「絶対的自我」ではなく「自己ならざる自己」。禅に触れたところからこのような哲学が成立する過程において、世界への禅の道を「禅思想」として開いた鈴木大拙の同道があった。以上のことは具体的な詳論を要する。
- DOI
- 10.20716/rsjars.78.4_1171
- 連携機関・データベース
- 国立情報学研究所 : CiNii Research
- 提供元機関・データベース
- Japan Link Center雑誌記事索引データベースCiNii Articles
- 書誌ID(NDLBibID)
- 7296177
- NII論文ID
- 110002826691