<日本語>で考えるということ (特集 日本文学協会第61回大会報告 文学教育の転回と希望)
デジタルデータあり(科学技術振興機構)
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書誌情報
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- 資料種別
- 記事
- タイトル
- 著者・編者
- 大澤 真幸
- シリーズタイトル
- 著者標目
- 並列タイトル等
- Thinking "in Japanese"
- タイトル(掲載誌)
- 日本文学 / 日本文学協会 編
- 巻号年月日等(掲載誌)
- 56(3) 2007.3
- 掲載巻
- 56
- 掲載号
- 3
- 掲載ページ
- 20~32
- 掲載年月日(W3CDTF)
- 2007-03
- ISSN(掲載誌)
- 0386-9903
- ISSN-L(掲載誌)
- 0386-9903
- 出版事項(掲載誌)
- 東京 : 日本文学協会 ; 1952-
- 出版地(国名コード)
- JP
- 本文の言語コード
- jpn
- NDLC
- 対象利用者
- 一般
- 所蔵機関
- 国立国会図書館
- 請求記号
- Z13-438
- 連携機関・データベース
- 国立国会図書館 : 国立国会図書館雑誌記事索引
- 書誌ID(NDLBibID)
- 8739699
- 整理区分コード
- 632
- 要約等
- As is well-known, Jacque Derrida made an attack on phonocentrism in Western metaphysics. But his deconstructive procedure cannot be uncritically applied to thinking in the Japanese language. For the Japanese way of thinking is more fundamentally conditioned by writing or ecriture than its Western counterpart. Indeed, Japanese is a unique language with the combination of the two different kinds of orthography, that is, Chinese characters and kana letters. In a sense, Derrida's effort to subvert the priority of speech over writing is not necessary for the language because it is always already controlled by ecriture. In this paper, I will point out the merits and demerits of the structure of the language that is closely related to the social structure. I will also consider how the peculiarity of the language has affected Westernization of our country since the Meiji Period. This inquiry will lead to understanding why literature played a central role in modern thought. The end of modern literature means more than a change of fashion. It may indicate that the mode of thinking in Japanese itself is coming to a crisis.かつてジャック・デリダは、形而上学における「音声言語中心主義」を批判した。だが、この批判は、日本語による思考には直接にはあてはまらない。日本語の思考は、文字(エクリチュール)に深く規定されているからである。このことは、日本語が、独特の書字体系、つまり「漢字かな混じり文」をもっていることと深く関連している。デリダは、彼が「脱構築」と名づけた強靱な思索を通じて、音声言語に対する文字の優越を何とか回復しようとしたのだが、日本語においては、こうした条件は、最初から整っていたのだ。この発表では、こうした特徴を有する日本語に基づく思考の「強さ」と「弱さ」について論ずる。また、この特徴が、日本社会の歴史的構造と相関していることを示す。さらに、議論は、この特徴が、明治以降の西洋文化の導入にどのように反響したかという問いへと移るだろう。この問いへの探究は、日本の思想、とりわけ日本の近代思想において、文学が中心的な影響力をもったのはなぜなのかということを解き明かすことにもなる。「近代文学(小説)の終焉」は、日本語にとって流行の盛衰以上のものだ。それは、日本語に基づく思考そのものの危機かもしれないからだ。
- DOI
- 10.20620/nihonbungaku.56.3_20
- オンライン閲覧公開範囲
- インターネット公開
- 連携機関・データベース
- 科学技術振興機構 : J-STAGE
- 要約等
- かつてジャック・デリダは、形而上学における「音声言語中心主義」を批判した。だが、この批判は、日本語による思考には直接にはあてはまらない。日本語の思考は、文字(エクリチュール)に深く規定されているからである。このことは、日本語が、独特の書字体系、つまり「漢字かな混じり文」をもっていることと深く関連している。デリダは、彼が「脱構築」と名づけた強靱な思索を通じて、音声言語に対する文字の優越を何とか回復しようとしたのだが、日本語においては、こうした条件は、最初から整っていたのだ。この発表では、こうした特徴を有する日本語に基づく思考の「強さ」と「弱さ」について論ずる。また、この特徴が、日本社会の歴史的構造と相関していることを示す。さらに、議論は、この特徴が、明治以降の西洋文化の導入にどのように反響したかという問いへと移るだろう。この問いへの探究は、日本の思想、とりわけ日本の近代思想において、文学が中心的な影響力をもったのはなぜなのかということを解き明かすことにもなる。「近代文学(小説)の終焉」は、日本語にとって流行の盛衰以上のものだ。それは、日本語に基づく思考そのものの危機かもしれないからだ。
- DOI
- 10.20620/nihonbungaku.56.3_20
- 連携機関・データベース
- 国立情報学研究所 : CiNii Research
- 提供元機関・データベース
- Japan Link Center雑誌記事索引データベースCiNii Articles
- 書誌ID(NDLBibID)
- 8739699
- NII論文ID
- 110009885738