タイトル(掲載誌)書くこと/書かれたもの : 表現行為と表現 (埼玉大学教養学部 リベラルアーツ叢書12)
一般注記type:text
本稿は、アイ・ウェイウェイがどのようにマルセル・デュシャンを受容し、自らの作品に生かしていったのかを論じる。ニューヨーク時代から中国での活動を追う。特に四川汶川大地震の調査をきっかけに、デュシャンの「独創的なものを持たない私のレディ・メイド」がアイ・ウェイウェイの「人々のための独創的なレディ・メイド」へと変容していったことを指摘する。また張洹ほかの作家とアイの作品を比較することで、アイの作品の持つ個人的思考と社会との関係、デュシャン的抑制について論じる。アートの自律は、デュシャンとアイが示したように、「何ものにも与しない」態度で、個人の感情や社会的活動を抑制したところに生じる葛藤によって、はじめて保証されるのではないか。アイの作品群は全て個人の肉体を通した経験の末のものであり、デュシャン的な極力表現しないという抑制が利かなくなった結果でもある。そこがアイはデュシャンにはなれなかったが、デュシャンではないものになったという所以だろう。
identifier:Writing and the Written : the Act and Products of Expression (Faculty of Liberal Arts, Saitama University Studies in Liberal Arts, vol. 12)
連携機関・データベース国立情報学研究所 : 学術機関リポジトリデータベース(IRDB)(機関リポジトリ)
提供元機関・データベース埼玉大学 : 埼玉大学学術情報リポジトリ(SUCRA)