一般注記北代遺跡は、長岡台地に立地する。呉羽丘陵一帯は旧石器時代から近世までの長い間、居住・墓、生産など各種の遺跡が形成された。
調査では、竪穴建物1棟、土坑5基、ピット12基を検出した。竪穴建物の平面プランは方形と推定され、壁際に沿って細く浅い溝が廻る。カマドは東壁の北寄りの隅に付設されているが残存状況が悪く上部構造については不明である。土坑のうち1基からは鉄滓28,334gと炉壁・羽口、被熱によって割れた石が多く出土し、鉄生産に関わる遺構の可能性も考えられるが、壁面及び底面の被熱等は検出されなかった。この土坑と竪穴建物の帰属年代は8世紀代、ピットは古代とみられる。土坑から出土した鉄滓は断面観察およびX線分析により原料に砂鉄を用いた製錬や精錬鍛冶に伴って発生した鉄滓と推定された。
北代遺跡ではこれまでの調査で古代の竪穴建物、掘立柱建物、鍛冶工房等が検出されている。今回の調査で確認された遺構を含めて、精錬鍛冶などの製鉄作業が行われていた初期開墾集落と考えられる。
DOI10.24484/sitereports.54328
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