並列タイトル等にごりかわさがんいせき3-しーちく
北海道縦貫自動車道(七飯~長万部)埋蔵文化財発掘調査報告書/森町 C〜E地区-
一般注記[濁川左岸遺跡 要約]
濁川左岸遺跡は縄文時代後期前葉を主体とする集落・墓域である。遺跡は森市街地から北西に約9km、濁川カルデラから流れ出る濁川の河岸段丘上に立地する。海岸線からは約700m内陸に位置する。約200m北西方向には無名沢を挟んで石倉1遺跡がある。本遺跡は平成13年度に1,300平方メートル、平成14年度に3,630平方メートルの調査を行っており、これらについては既に報告済である(北埋調報190・208)。今回報告するC・D・E地区は平成16年に3,630平方メートルを調査した。濁川に面する段丘をC地区、中央付近の沢地形をD地区、無名沢に面する段丘をE地区と呼称した。今回の調査範囲の標高は36〜45mである。検出遺構は住居跡8軒、土坑94基、石組炉5か所、焼土23か所、小ピット212基、配石1か所、剥片集中1か所、埋設土器1か所である。住居跡は縄文時代前期と推定するもの1軒、中期前半2軒、後期前葉5軒である。土坑は後期前葉のもの45基(墓2基、墓の可能性のあるもの11基)、後期前葉と推定するもの5基(墓1基、墓の可能性のあるもの1基)、前期後半あるいは後期後葉と推定するもの5基、中期前半もしくは後期前葉と推定するもの15基(墓1基、墓の可能性のあるもの8基)、中期前半と推定するもの20基、前期〜中期と推定するもの1基、前期後半1基、時期不明2基である。配石は後期前葉の墓の可能性のある土坑に伴う。埋設土器は中期前半のものである。出土遺物は土器102,385点、石器等11,503点の計113,887点である。土器には縄文時代前期後半の円筒土器下層式、中期中葉のサイベ沢7式、後期前葉の天祐寺式、涌元式、トリサキ式、大津式、白坂3式、続縄文時代の後北式などがある。石器等には石鏃、石錐、石槍、つまみ付きナイフ、スクレイパー、両面調整石器、ヘラ状石器、Rフレイク、Uフレイク、石核、フレイク、石斧、たたき石、扁平打製石器、北海道式石冠、すり石、石鋸、砥石、石錘、石皿、台石、原石、有孔自然礫、被熱礫、礫、石製品、土製品などがある。
DOI10.24484/sitereports.24619
一次資料へのリンクURLhttp://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/40/40423/24619_1_%E6%BF%81%E5%B7%9D%E5%B7%A6%E5%B2%B8%E9%81%BA%E8%B7%A1.pdf
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