並列タイトル等ちばとうがねどうろにきまいぞうぶんかざいちょうさほうこくしょ
松尾町横芝町四ツ塚遺跡・松尾町千神塚群
一般注記[四ツ塚遺跡 要約]
四ツ塚遺跡は山武郡松尾町・横芝町にかけて所在し、太平洋に流入する木戸川左岸に位置する。この木戸川によって開析された舌状台地は標高40m〜44mを計り、台地端部に旧石器時代の石器群が展開する。石器の総出土点数は約2,200点であり、38か所のブロックが立川ローム?層、?層〜?層下部、?層〜?層の3枚の文化層にて確認された。中でも?層では、規模の異なる2つの環状ブロック群(東側1,413点、西側416点)間で接合する資料が、少数ではあるが確認されている。環状ブロックを構成する器種は局部磨製石斧・ナイフ形石器・台形様石器・楔形石器・石核・剥片などがあり、剥片類の石材にはチャート、珪質頁岩が多く利用される。礫素材の石器石材はホルンフェルスと安山岩が用いられる。なお、?層では1か所から12点の出土があり、搬入された石刃などが小規模な分布を示し、?層では1か所278点からなる横長剥片素材の石器群が展開する。縄文時代の遺構は土坑4基と陥穴3基を検出した。※松尾町は2006年に山武町・成東町・蓮沼村と合併して市制施行し、山武市となった。横芝町は同2006年、匝瑳郡光町と合併し横芝光町となった。
[千神塚群 要約]
千神塚群は四ツ塚遺跡と事業地を同じくし、近世の塚のまとまりが千神塚群と呼称される。江戸時代初期に村境に設置された「境塚」と考えられる。塚は台地奥部の標高41mから42mの平坦地に位置し、松尾町谷津と横芝町遠山の集落間を結ぶ道路に面して163m間に約30基が並ぶ。このうちの2基から古銭各1枚が出土した。遺構外から出土した遺物としては、奈良・平安時代の灯明皿や土錘11点、古墳時代以降では粘板岩製の砥石が出土している。
DOI10.24484/sitereports.32093
一次資料へのリンクURLhttp://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/56/56807/32093_1_%E5%8D%83%E8%91%89%E6%9D%B1%E9%87%91%E9%81%93%E8%B7%AF%E4%BA%8C%E6%9C%9F%E5%9F%8B%E8%94%B5%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf
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