並列タイトル等かしましないいせきまいぞうぶんかざいはっくつちょうさほうこくしょ40
平成30年度試掘・確認調査概要 鹿嶋市内№128遺跡(KT128)西畑遺跡 鹿嶋市内№129遺跡(KT129)栗林遺跡 鹿嶋市内№130遺跡(KT130)孫田遺跡 鹿嶋市内遺跡№131遺跡(KT131)国指定史跡鹿島神宮境内附郡家跡
一般注記西畑遺跡 今回の調査では旧郡家に関連する遺構や遺物は検出しなかった。調査区を設定した位置は鍛冶屋坂から上がった左手、北側の位置にあたる。現在使用されている道路は近代に整備されたもので、旧くは鍛冶屋坂を使用し台地の下に降りていた。鍛冶屋坂の名前の由来のとおり、鍛冶関係の竪穴工房跡を検出した。鍛冶工房跡の具体的な年代は確定できない。竜会城跡周辺のこれまでの調査からみて、旧郡家跡の時期は集落が展開されていた可能性がある。
栗林遺跡 今回の調査で検出した遺構から検討して、栗林遺跡は7世紀末から10世紀前半にかけての集落跡であったと考えられる。この時期は神野向に鹿島郡家が置かれ、栗林遺跡は郡家の北西500mに位置する集落で、墨書土器が多く検出していることから、郡役所に関係した集落の可能性がある。
孫田遺跡 今回の調査区では、近代の攪乱によってほとんどの遺構が削平されており、遺物が耕作土中から出土することで、遺跡の性格を推測するのみである。孫田遺跡は縄文時代から江戸時代まで続く複合遺跡として知られていたが、出土遺物からみると、縄文時代中期と古墳時代、中世が主体の遺跡であると考えられている。
国指定史跡鹿島神宮附郡家跡・神野向遺跡 正倉院第2期の礎石建物の位置を確認するために、これまでの調査から想定される位置にトレンチを設定して遺構確認を行った。11棟の礎石建物の総地業を検出した。この中には大型建物が含まれ、法倉の可能性がある。
DOI10.24484/sitereports.62847
連携機関・データベース国立情報学研究所 : 学術機関リポジトリデータベース(IRDB)(機関リポジトリ)