一般注記中条遺跡は市域を西流する猿渡川右岸の台地上に立地し、古代末に成立した「重原荘」の中心域に推定されている。平成11年度調査区は遺跡の北西部にあたる台地北側の区域約6,100㎡で、縄文時代後期中葉の貝塚を全面発掘調査するとともに、貝塚周辺からは古代から中世の遺構・遺物も多数検出された。
原始では、縄文時代後期中葉の貝層から八王子式土器が主体的に出土し、石鏃や磨石等の石器、石棒、骨角器や貝製品も出土した。出土した土偶の中には東日本系の「山形土偶」があり注目された。
古代では、古墳時代後期から奈良時代の竪穴建物や掘立柱建物が多数検出された。7世紀代の竪穴建物は調査区の北東部と南東部に分布が分かれ、続く8世紀代の竪穴建物は南東部にそのほとんどが分布していた。また、8世紀代の倉庫と思われる総柱建物は、竪穴建物の北西に群をなしていた。須恵器や土師器とともに製塩土器が多く出土した他、円面硯や刀子等の古代官人に関わる遺物も出土した。
中世では、調査区北東部で鎌倉時代の比較的大きな溝による区画が確認されたが、乳児の土坑墓や井戸が検出された調査区中央部での屋敷地の区画は不明瞭であった。平成9・10年度に台地南側で実施した調査よりも古い山茶碗類(尾張型第4型式)がまとまって出土し、中世集落の形成時期がやや遡る可能性が高まった。室町時代では、調査区南西部を中心に、基軸となる直線的な溝とそれに並行する小規模な溝による長方形の区画が確認された。遺物が少なく、建物遺構も確認できなかったが、中世居館としての様相を示していると思われる。
DOI10.24484/sitereports.90262
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