一般注記桜ケ岡公園遺跡は、広瀬川左岸の仙台中町段丘、標高40 ~ 45 mに立地する遺跡である。平成30 年度に2,197㎡の調査を行った結果、江戸時代の遺構面を4面、近・現代の遺構面を1面検出した。各層の出土遺物の年代から、最下面から3 面までが18 世紀前半から19 世紀初頭、江戸時代の最上面が19 世紀前半に相当する
ことがわかった。
最下面で検出した1棟の建物跡は桁行き約4.8 m、梁行き約1.9 mと小規模であり、厩等、屋敷に付随する小規模な建物跡の可能性が考えられる。また、他に建物跡が確認出来なかったことから、本調査区は屋敷域の中心から外れた位置に該当するものと考えられる。
調査区南側で検出した長軸約30 m、短軸約20 mの大規模な落ち込み(SX25) は、調査区外に延びる平面プ
ランを正確に把握出来なかったことと、調査時の安全面を考慮し、底面部まで掘削・確認するに至らなかった
ことから、自然地形か人為的に掘り下げられたものかは不明である。この落ち込みから、18 世紀前半のものと考えられる陶磁器・金属製品を伴う大量の焼土・炭化物層が確認された。仙台市史には18 世紀前半に、本調査区が位置する旧大町を含んだ大火の記録が示されており、焼土・炭化物層は大火の際に倒壊した屋敷等の廃棄処理の痕跡と考えられる。
Ⅴ層上面において、約2.4 mの長さで積まれた瓦と南北2.7 m、東西1.5 mの範囲に敷かれた瓦(SX21)、3
列に並ぶ石列(SX22) を検出した。両方とも掘り方は無く、整地面に据えられたものであり、SX25 を埋める際の土止め、または整地範囲を決める際の目安に用いられた可能性が考えられる。
Ⅱ層上面で検出した5棟の建物跡は、そのほとんどが径1 ~ 1.4m の大径の柱穴で構成されている。柱穴の底には径40 ~ 50cm ほどの礫が設置され、その上部に径15 ~ 20cm の礫が大量に混入されていた。重量物に耐え得る工法を示しており、大型の施設が建てられていたものと想定される。明治前半の絵図には、本調査地点の位置に「養蚕試験場」と記されており、その建物跡の可能性が考えられる。しかし、養蚕試験場稼働時の状況や規模を記した詳細な記録・図面が残っていないため、今回の調査では確定することはできなかった。
DOI10.24484/sitereports.115606
一次資料へのリンクURLhttp://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/45/45156/115606_1_桜ケ岡公園遺跡.pdf
連携機関・データベース国立情報学研究所 : 学術機関リポジトリデータベース(IRDB)(機関リポジトリ)