並列タイトル等とうまえはらいせき(だい8ちてんだい4じ)
─区画道路6-27号線道路改良及び造成並びに流域関連下水道工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書─
一般注記東前原遺跡は水戸市の南東端に近い東茨城台地の東端部に位置する。台地の北側の縁辺近くにあり,標高は19mを測る平坦な土地が広がっている。本地点では弥生,奈良・平安,中近世の3時代の遺構が検出された。弥生時代は竪穴建物跡が4軒,それぞれ15m位の間隔でみられる。時期は後期前半の東中根式器である。この時期の集落は那珂川下流右岸域の水戸市域では初出である。奈良・平安時代の竪穴建物跡は13軒検出され,調査区内の散在する。その年代は, 8世紀中葉〜後半と9世紀前・中葉,10世紀後葉から11世紀前葉の3時期に分けられる。8世紀は3軒検出された。中・後葉にかけて点在したと推測する。小規模な隅カマドの竪穴建物が見られる(居住には適さない作業場や,非日常的な行いで使用されたか)。9世紀は6軒検出され,9世紀前葉〜中葉を中心に展開がみられる。この中には一辺約7mの大型の竪穴建物や,規模が小さい隅カマドの竪穴もある。出土遺物では大型の竪穴建物跡からは円面硯の破片,1軒の建物跡からは須恵器坏の体部に2種類と思われる墨書が2個体ずつ認められた。10世紀後葉〜11世紀前葉は4軒である。カマドの向きは東向きとなり,8・9世紀の北向きとは相違する。SI07は内部に小鍛冶跡と推測されるピットが存在し,鉄滓類が出土しており,ムラの鍛冶屋的な存在が窺える。このような様相からは,一定規模の集落として継続していた可能性がある。中近世は溝が4条検出された。奈良・平安時代の竪穴建物跡とは軸方位は違っており,4条共に走行方向は概ね同じで,調査区を東西方向に横断するもので,帰属年代も同じと推測する。伴う遺物は最も大型のSD01では,14・15世紀の陶器大甕と近世の17〜19世紀の土器が出土している。検出範囲が少ないものの,居館の内外を区画するため,敷地境を表わしたり,道路の側溝などの可能性がある。
DOI10.24484/sitereports.122742
一次資料へのリンクURLhttp://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/46/46811/122742_1_東前原遺跡第8地点第4次.pdf
連携機関・データベース国立情報学研究所 : 学術機関リポジトリデータベース(IRDB)(機関リポジトリ)