テロ等準備罪を創設する平成29年組織犯罪処罰法改正については、各界で激しい議論が展開された。
本改正に対する批判的な見解の根拠は、多岐にわたった。内容的に重なり合う部分もあるが、大別すれば、次のように整理できよう。
まず、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約の批准にはテロ等準備罪創設は不要だとするものがあった。
次に、濫用の危険を指摘するものがあった。
内容が無限定であるとする批判も存した。
憲法との関係では、同罪が内心の自由や表現の自由を保障した憲法に違反するとの批判があった。
内心の自由との関係を問題とする見解は、大要、合意を処罰する際には、被疑者の内心に渉る評価が行われ問題である、あるいは、コミュニケーションという表現行為を処罰することになるため表現の自由を侵害し、ひいては内心の自由も侵害するというのである。これらの見解は、テロ等準備罪成否の判断には内心を問題とする場面があること、合意という表現行為を処罰するため内心への影響があることを指摘し、内心の自由との関係で「疑義がある」あるいはこれを「脅かしかねない」とするのである。
報告者は、このような批判に対し――同罪創設の是非に対する賛否とは無関係に――批判的である。刑事法研究者としては、刑法学上一般的と思われる理解に照らして疑問があるためである。
この疑問について簡単に要約するならば、以下のようなことになる。
まず、批判説は、犯罪の成立要件として主観的事情を要求することが内心の自由を侵害するかのように主張するが、この主張は不当である。もし、主観的事情を犯罪の成立要件とすることが内心の自由の侵害であるなら、故意・過失・目的といった当然に認められてきた主観的要件も認めるべきでないこととなってしまう。しかし、そのような帰結は支持されないであろう。
本研究ではこのようなことを明らかにし、さらに、立法評価の在り方と憲法学・刑法学との関係について明らかにした。
Main subject of this research is to clarify what is "Punishing Thoughts".