並列タイトル等ブンガクカン ショゾウ シリョウ オ モチイタ ダザイ オサム・ミタ ジュンシ オ メグル ソウゴウテキ ケンキュウ (ケイゾク)
Bungakukan shozō shiryō o mochiita Dazai Osamu Mita Junshi o meguru sōgōteki kenkyū (keizoku)
Comprehensive research II about Dazai Osamu and Mita Junshi by utilizing the documents of literary museums
一般注記type:text
本研究では、昨年度から継続して、太宰治と「散華」のモデルである三田循司をつなげる東北の磁場を、戦時下の文脈に即して多角的に考察した。
太宰治『津軽』について、日本近代文学館所蔵の「太宰治文庫」等を活用することで、『津軽』をめぐる作者や関係者の改変意図などを一層明らかにし、挿絵の異同について一覧表を作成した。
太宰と三田との交流に欠かせないのは、太宰と共に三田が師事していた山岸と、三田の旧制二高時代の後輩だった戸石泰一等の存在であるが、文学同人誌等での証言、そして日本現代詩歌文学館所蔵の三田循司関連資料を用いることで、「散華」というテクストの外へと広がる戦時下の学生たち関係性について重層的に考察し、「散華」を一元的に解釈しない方向での読みの可能性を開いた。
今年度も、コロナ禍の影響で資料を保管する文学館に共同研究メンバー(学外者)で揃って調査に行くことは難しかったが、研究代表者である小澤が直筆資料を複数回にわたり調査した。今回の調査で、三田が二高に入学してから東京大学文学部国文科を繰り上げ卒業になるまでの軌跡をある程度正確に追うことができた。その中でも特に、太宰・山岸との関係性の変化や、卒業論文のテーマを宮澤賢治から石川啄木に変更した経緯、そしてアジア太平洋戦争に対する姿勢等を詳しく確認できた。日記や詩稿等を時代順に追うことで、詩人としての関心の変遷をある程度確認できた。三田の自筆資料の中に混在していた自筆資料の作者についても確定できた。
以上の二年にわたる調査・分析によって、太宰治「散華」ばかりでなく、戦時下の学生の記録としても、また太宰周辺の文学・社会をめぐる環境の解明においても、有意義な成果を得られた。今後も研究を続ける予定である。
※なお、本研究成果は、2020・21年度の慶應義塾大学文学部での講義「国文学Ⅹ」に反映させ、2022年度の慶應義塾志木高等学校の3年見学旅行(東北)に関連する現代文の授業にも反映していく。また、2021年度の3年自由選択科目では、アジア太平洋戦争敗戦後の文脈を現在のサブカルチャーにおける東北表象と接続した。
Please refer to the report of "Comprehensive research Ⅱ about DAZAI Osamu and MITA Junshi by utilizing the documents of literary museums" in Japanese.
一次資料へのリンクURLhttps://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?koara_id=2021000003-20210096
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