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「天皇」号成立推古朝説の系譜--もう一つの邪馬台国論争的状況

国立国会図書館請求記号
Z21-1836
国立国会図書館書誌ID
8749591
資料種別
記事
著者
千田 稔
出版者
京都 : 人間文化研究機構国際日本文化研究センター
出版年
2007-05
資料形態
掲載誌名
日本研究 35 2007.5
掲載ページ
p.405~419
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書誌情報

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資料種別
記事
著者・編者
千田 稔
著者標目
並列タイトル等
When was the title tenno (天皇) attached to the supreme person in ancient Japan?: on the academic situation similar to a dispute of Yamataikoku (邪馬台国)
タイトル(掲載誌)
日本研究
巻号年月日等(掲載誌)
35 2007.5
掲載巻
35
掲載ページ
405~419
掲載年月日(W3CDTF)
2007-05
ISSN(掲載誌)
0915-0900
ISSN-L(掲載誌)
0915-0900
出版事項(掲載誌)
京都 : 人間文化研究機構国際日本文化研究センター
出版地(国名コード)
JP
本文の言語コード
jpn
NDLC
対象利用者
一般
所蔵機関
国立国会図書館
請求記号
Z21-1836
連携機関・データベース
国立国会図書館 : 国立国会図書館雑誌記事索引
書誌ID(NDLBibID)
8749591
整理区分コード
632

デジタル

要約等
古代日本における政治・軍事権力の頂点に立つ者に対して、天皇という称号が用いられたが、その称号が用いられる以前は大王であった。大王から天皇へと称号が変わったのは、いつ頃かについては、これまで多くの議論があった。現在においても、その時期については、断案がない。  この問題についての、議論は、『日本書紀』推古紀、『隋書』倭国伝、「天寿国繍帳」、「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」などの解釈をめぐってなされてきた。  天皇号が初めて使われた時期について、早稲田大学教授津田左右吉の見解がその後の議論の糸口になった。  津田は、法隆寺薬師像光背銘が推古朝に書かれたと見なし、それに「天皇」という文字が刻まれていることと、『日本書紀』推古紀にみる「天皇」と対応させて、天皇号の成立を推古朝とした。それに対して、建築史家の京都大学教授福山敏夫は、法隆寺薬師像の銘文は、推古朝の年号が書かれてはいるが、それは後年に記されたもので、推古朝に天皇号が使われた根拠とすることはできないと論じた。  天皇号が初めて使われた年代をめぐる議論は、津田と福山の見解の相違に集約することができる。だが、この議論は、主として、津田の見解を是認する古代研究者によって展開され、福山説にしたがう説は、近年になって発表されるようになった。  津田の見解を大筋認める研究者たちについてみると、津田から直接影響をうけた、早稲田大学、東京大学に関わる者で占められ、その傾向は、今日まで及ぶ。時に、定説、通説として語られることさえある。しかし、天皇号が推古朝に初めて使用されたとする確実な論拠がない点からみると、一種の不思議な現象として目に映る。それは、あたかも、邪馬台国論争におけるかたくなな九州説の展開との類似性を指摘することができる。
記録形式(IMT)
application/pdf
一次資料へのリンクURL
nk35015.pdf (fulltext)
オンライン閲覧公開範囲
インターネット公開
連携機関・データベース
国立情報学研究所 : 学術機関リポジトリデータベース(IRDB)(機関リポジトリ)
提供元機関・データベース
人間文化研究機構国際日本文化研究センター : 国際日本文化研究センター学術リポジトリ

デジタル

要約等
古代日本における政治・軍事権力の頂点に立つ者に対して、天皇という称号が用いられたが、その称号が用いられる以前は大王であった。大王から天皇へと称号が変わったのは、いつ頃かについては、これまで多くの議論があった。現在においても、その時期については、断案がない。  この問題についての、議論は、『日本書紀』推古紀、『隋書』倭国伝、「天寿国繍帳」、「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」などの解釈をめぐってなされてきた。  天皇号が初めて使われた時期について、早稲田大学教授津田左右吉の見解がその後の議論の糸口になった。  津田は、法隆寺薬師像光背銘が推古朝に書かれたと見なし、それに「天皇」という文字が刻まれていることと、『日本書紀』推古紀にみる「天皇」と対応させて、天皇号の成立を推古朝とした。それに対して、建築史家の京都大学教授福山敏夫は、法隆寺薬師像の銘文は、推古朝の年号が書かれてはいるが、それは後年に記されたもので、推古朝に天皇号が使われた根拠とすることはできないと論じた。  天皇号が初めて使われた年代をめぐる議論は、津田と福山の見解の相違に集約することができる。だが、この議論は、主として、津田の見解を是認する古代研究者によって展開され、福山説にしたがう説は、近年になって発表されるようになった。  津田の見解を大筋認める研究者たちについてみると、津田から直接影響をうけた、早稲田大学、東京大学に関わる者で占められ、その傾向は、今日まで及ぶ。時に、定説、通説として語られることさえある。しかし、天皇号が推古朝に初めて使用されたとする確実な論拠がない点からみると、一種の不思議な現象として目に映る。それは、あたかも、邪馬台国論争におけるかたくなな九州説の展開との類似性を指摘することができる。
連携機関・データベース
国立情報学研究所 : CiNii Research
提供元機関・データベース
Japan Link Center
学術機関リポジトリデータベース
雑誌記事索引データベース
CiNii Articles
書誌ID(NDLBibID)
8749591
NII論文ID
120005681528