一般注記書写資料 CD-931 M-111 付録資料有り(本体に挟んでいる別封筒の中に4枚有り)
天保8年(1837)に改められた、備中国小田郡神之島(こうのしま)内之浦(うちのうら)西組(現笠岡市神島)の五人組帳。一般に「五人組前書」とは、五人組として守るべき事柄を書き上げた「五人組帳」の法令部分をさしていうが、本書では、「五人組前書」と題しながら、84条の法令を書き上げた前書の後へ、西組の庄屋佐太郎以下全百姓が署名・捺印して守ることを誓約した請書(うけしょ)が付けられている。請書の文末に「長鋪茂登右衛門書」とあり、裏表紙の見返しには、同筆で「此本何方え参り候ても長鋪え御戻し可被下候、奉願上候、以上 酉三月」とある。もとの表紙に「天保九戌年七月吉日 五人組前書 内浦・外浦・白石島・北木島・真鍋嶋 長敷茂登右衛門」とあり、表紙は天保9年に付けられたものと思われる。内浦(うちうら)・外浦(そとうら)(以上神島の内)・白石島・北木島・真鍋島(いずれも現笠岡市内)は笠岡沖の島で、当時は幕府領であった。一般に、「五人組前書」とは五人組として守るべき法令をさしていうが、本書では、「前書」の後へ庄屋以下全百姓が署名・押印して守ることを誓約している。84カ条にわたる条目が箇条書きされ、最後に「長鋪茂登右衛門書」とある。その後に、天保8年(1837)3月、庄屋佐太郎以下小田郡神之嶋内之浦西組の百姓が署名・押印(黒印)している。