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語りだす絵巻 : 「粉河寺縁起絵巻」「信貴山縁起絵巻」「掃墨物語絵巻」論

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語りだす絵巻 : 「粉河寺縁起絵巻」「信貴山縁起絵巻」「掃墨物語絵巻」論

国立国会図書館請求記号
KC93-L5
国立国会図書館書誌ID
026493429
資料種別
図書
著者
亀井若菜 著
出版者
ブリュッケ
出版年
2015.6
資料形態
ページ数・大きさ等
380p ; 22cm
NDC
721.2
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書誌情報

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資料種別
図書
ISBN
978-4-434-20751-8
タイトルよみ
カタリダス エマキ : コカワデラ エンギ エマキ シギサン エンギ エマキ ハイズミ モノガタリ エマキロン
著者・編者
亀井若菜 著
著者標目
亀井, 若菜, 1962- カメイ, ワカナ, 1962- ( 00938028 )典拠
出版年月日等
2015.6
出版年(W3CDTF)
2015
数量
380p
大きさ
22cm
出版地(国名コード)
JP
本文の言語コード
jpn
件名標目
絵巻--歴史--平安時代 エマキ レキシ ヘイアン ジダイ ( 001210210 )典拠
絵巻--歴史--中世 エマキ レキシ チュウセイ ( 001210212 )典拠
NDLC
対象利用者
一般
入手条件・定価
4000円
所蔵機関
国立国会図書館
請求記号
KC93-L5
連携機関・データベース
国立国会図書館 : 国立国会図書館蔵書
書誌ID(NDLBibID)
026493429
全国書誌番号
22614938
トーハンMARC番号
33297386
目録規則
日本目録規則1987年版改訂版
整理区分コード
111

デジタル

要約等
亀井 若菜『語りだす絵巻 ─「粉河寺縁起絵巻」「信貴山縁起絵巻」「掃墨物語絵巻」論』 (ブリュッケ、2015年) 序章 絵巻の表現に「なぜ」を追求する 本書では、「粉河寺縁起絵巻」「信貴山縁起絵巻」「掃墨物語絵巻」について、「なぜ」それらの絵に描かれた表現がなされたのかを探求する。  その際、各絵巻の女性像に注目して考察を進める。それは女性像が、絵巻を制作した者や享受した者がどのような権力の網の目の中にいたのかをあぶり出すものだからである。女性は、家父長制社会の中において、また家父長制社会を構成する各階層の中で、基本的には劣位に位置づけられている。女性は、劣位に位置しながらも、男性の性的対象物であり、また子を産むという身体的機能を持つが故に、男性社会の維持に必要不可欠なものとされる。そのような女性は、男性に都合のいい形で、美─醜、若─老、健康─病などといった両極の間で価値づけられ、あるときは「価値」が高い姿で、またあるときは「価値」の低い姿で、何かの「比喩」としても表象されていく。そのため、絵の中の女性像は、その絵の制作者や観者が、何に価値を置き、何を劣位に置きたい状況にあったかを、あぶり出すものとなる。それ故、女性像の表現を起点とすると、絵巻全体の表現の意味や絵巻の制作事情を考察することも可能となるのである。 第1章 「粉河寺縁起絵巻」論  第1章では、平安時代末期の作とされる「粉河寺縁起絵巻」について考察する。この絵巻では2つの話が語られる。その第2話では、河内国讃良郡の長者の娘の病が、粉河観音の化身である童の祈祷により治る話が展開する。その病の娘の身体は、露出され赤い斑点が付されて苦しむ負のイメージで描かれている。それは体の穢れを見せる「九相図」の女性死体にも通じる表現である。従来、この絵巻は後白河院が作ったとされてきた。しかし後白河院の視点から見ても、病の娘を始めとするこの絵巻全体の絵の表現の意味はつかめない。  そこで新たな解釈を提示する。すなわち、13世紀前半に粉河寺領丹生屋村が、領地の堺を接する高野山領名手荘と、境界の水無川および上流の椎尾山の領有をめぐって激しい相論をしていた際に、粉河寺がこの絵巻を作ったことを推論する。絵巻の中で娘の父の在所とされる讃良郡はこの頃高野山領となった地であるため、この相論を背景とするならば、病に苦しむ娘の姿は、粉河寺が敵対している高野山を、女性像を使って劣位に位置づけようとする表象であると捉えられるのである。病の娘はその後回復し粉河へ赴くのだが、娘が粉河観音の前で剃髪される姿も、尊重された姿であるとは言えず、女性を罰する「髪切り」のイメージを重ねた姿であると捉えられる。このように第2話の絵を分析すると、娘の姿が、「敵」である高野山を貶める象徴として表された女性像であることが見えてくるのである。  一方、第1話では、土地の猟師が粉河に観音堂を建て、粉河寺を開創する話が語られる。その絵の中で注目されるのは、猟師の殺生や肉食の様子、猟師らの持ち物として斧や薪が、穏やかな情景の中に描かれていることである。殺生、肉食、斧、薪は、猟師の生活を表すモチーフであると思うであろうが、領域争いが起きている場においては、それらは領域侵犯と関わる狼藉の表徴として問題とされた事物であった。  また本絵巻では観音堂を中心とする粉河の景色が、第1話にも第2話にも繰り返し描かれている。同じ景色が繰り返されることはこの絵巻の大きな特徴とされ、「素朴で古様」な表現であるとされてきた。しかしそれは「素朴」な表現なのではなく、領域争いという場において、観音堂を中心とする粉河の景色が、粉河の人々が守るべき切実に重要な領域を見せるものであるため、繰り返し描かれたのではないだろうか。また物語の時間が進行しても、粉河の領域には、常に観音堂一宇のみが猟師創建時の原初的な姿で表されている。そのように観音堂が表されるのも、領域争いの際には土地領有の根拠として、その土地がかつてその地の神や民から譲られたものであるという由緒を持つことが必要であり重要であったことと関係すると考えられるのである。  以上のように本絵巻の絵は、13世紀前半における粉河寺と高野山の領域争いという文脈の中に置いたときに、整合性、一貫性をもって読み解くことが可能となる。そこでは女性像も巧みに使われ粉河寺側の優位が主張されている。本章では多くの歴史資料を用いながら、他の様々な表現も含め、絵巻の絵全体が上述した文脈の中で読解できることを詳述した。 第2章 「信貴山縁起絵巻」論  第2章では、12世紀の作とされる「信貴山縁起絵巻」について考察する。この絵巻の上巻と中巻には信貴山に独居する僧命蓮の話が、下巻には姉の尼公が弟に会うべく旅をして命蓮に再会し共に暮らす話が展開する。尼公は女性でありながら、女人禁制の大仏殿に入って祈り、聖なる山である信貴山に到達する。尼公の行動は女性の規範を逸脱しているのだが、この絵巻ではそれらが描かれているのである。これまで3巻の話の内容には関連がないとされ、3巻全体を通した意味を考えることも行われてこなかった。しかし下巻の尼公の表現は、上中巻で命蓮のいる信貴山が設定されているからこそ、導かれたと考えられる。本章では下巻の表現の特異性について考察した後、絵巻全体の表現の意味を考えていく。  下巻で尼公は、前を向き、微笑み、馬に乗る姿で、あるいは助けを借りず杖をつき歩く姿で、進んでいく。中世においては女性を排除する寺が多くなっていたにもかかわらず、尼公は大仏殿に入って祈り、聖なる山、信貴山に到達し、山上の僧房で命蓮とともに暮らす。これらの行動は、当時の女性を縛る規範からは逸脱している。しかし絵巻では、尼公が悠々と旅をする姿が描かれる上に、その行動に別の意味をも付加して、規範からの逸脱を感じさせないものとしていると考えられる。すなわち図像を分析すると、尼公が大仏殿で祈ったのち信貴山に到達するまでの行程は、「現身往生」(その身のまま往生する)であるかのように表現され、2人が山上で暮らす様子は、そこが極楽浄土であるかのごとく描かれ、尼公は男性の仙人の像にも似た姿で表されていることが見えてきたのである。  このような下巻を導く位置にある上中巻では、命蓮が倉や俵を飛ばし、天皇の病を治す。命蓮についてはその卓越した奇跡の表現ばかりが注目されてきたが、命蓮に関わる表現が絵巻の中で担っている意味を考える必要がある。命蓮は山上の僧房に独居する「ひじり」であり、現世のしがらみや権威からは離れている。その人物造形は仙人をモデルとしていると考えられる。絵においても命蓮はまったく権威的な姿をしておらず飄々としている。天皇の病を治す力さえ持ちながら、現世の価値観に縛られない命蓮の世界が上中巻で展開されているからこそ、下巻で規範を逸脱する尼公の行動を表すこともでき、尼公は信貴山にも到達できたのではないだろうか。  この絵巻では、このような命蓮と尼公を登場させ、既存のジェンダー規範や価値観をすりぬけ、乗り越えていくかのような叙述を展開させている。最終場面の2人の情景は、生き別れた肉親同士が極楽浄土で再会し共住しえたかのような様相をも見せている。この絵巻は、現世の価値観さらには死さえも超越することが可能であるかのようなある種の理想的世界を、3巻を通して見せようとするものであると考えられるのである。 第3章 「掃墨物語絵巻」論  第3章では、南北朝から室町時代の作とされる「掃墨物語絵巻」について考察する。この絵巻では、間違えて顔中に眉墨を塗ってしまった娘が、男性僧侶と対面して逃げられた後、出家を遂げ、母尼と隠遁生活を送るという話が展開する。絵でもまず室内で娘と僧が対面し、僧が黒い顔の娘をじっと見ている様子、そして僧が逃げて転ぶ様子が描かれている。この絵巻は、男女の逢瀬とその頓挫、娘のその後を見せるだけのものなのだろうか。  「黒く」塗られた娘の顔からは別の連想がはたらく。中世においては、人の身体を「不浄」として厭い、その不浄が死後の肉体の変化により露わになるという様子を描く「九相図」が多く作られた。「九相図」には、死後の体が「黒く」なって腐っていく様子が、女性の体として描かれた。また中世の仏教説話として、男性が目の前の女性の体を不浄であると観想して出家する話も少なからず残っている。女性の体は不浄であるため、男性出家者は愛欲を持つべきではない、目の前にいる女性にも不浄を観想せよ、とされていたのである。  このようなことを踏まえてこの絵巻を見ると、僧が「黒い」顔の娘をじっと見て、その後逃げて転ぶのは、僧が娘に対し不浄観をなそうとしたものの、それが失敗したことを表しているのではないかと考えられる。一方の娘は、その後「黒い」墨を洗い流して美しい顔になり、出家して、雪景色の美しい小野の地で、母尼とともに往生を確信しながら穏やかな隠遁生活を送る。この絵巻には、女性を不浄とする見方に抗い、女性主体の生を肯定して見せようとする意図があるのではないだろうか。香時計(時香盤)や四季の草花など、この絵巻にある他の様々な表現も、母娘の隠遁の場として小野という場が設定されていることも、この推論に一致するものとなっていることを詳述する。  終 章 三つの絵巻における「俗世」と「聖域」  終章では、3つの絵巻に登場する女性が、俗世から聖域へ移動するという共通点を持ちながら、その表現に違いがあることを指摘し、3つの絵巻の特質をさらに考えた。  本書では以上のように、3つの絵巻について、女性像を起点に各絵巻全体の絵の表現の意味を、社会的歴史的文脈および社会のジェンダー観や価値観と絡めて考察することを行った。本書はジェンダーの観点から絵巻の女性像を核に論じた、日本美術史の研究の成果である。  追 記  本書は、平成27年度 芸術選奨 文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞した。
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