並列タイトル等メイジ ゼンキ ニオケル ガクセイ カイカク ノ ヨウイン ケンキュウ
一般注記type:Thesis
本研究はわが国の明治前期の「学制」改革の要因を探求した研究である。これまでも学制改革は数多くの研究が積み重ねられているが、その研究方法は学制改革という事象がどのような影響を受けて側(人民)に与えたかという視点が主流であり、なぜその事象が発生したのか(なぜ「学制」が改革されたのか)という視点からは十分触れられていない。そして学制改革の研究は支配層(政府)から、被支配層(人民)への方向での探究が主であり、教育の受け手である被支配者層(人民)の視点から「学制」改革に注目した研究もいまだ充実した状態であるとは言い難い。本研究はこの視点をもって明治前期の「学制」改革の要因にアプローチしている。なぜなら如何に政府が強権的に学制改革を進めても、それを実際に受け止めて実行していくのは人民だからである。したがってそれは一向に上がらない就学率や、人民蜂起の際の打ち壊しの対象として学校が選ばれるというような事象となって現れる。そして政府はこれに対応していかざるを得なくなり学制改革は行われる。すなわちこの影響力を明らかにすることが「学制」改革の要因研究である。そして本論文の概要を説明すると以下のようになる。第一章では、「学制」制定の前段階にアプローチした。そこから「学制」制定前に想定されていた「学舎制」の影響や、「学制」がどのような社会的背景を持って求められたのかを明らかにした。第二章では、当時の政治指導層の思想と、「学制」制定の過程を整理し、そこから「ナショナリズムの要因」と「時間的制約の要因」を導きだした。第三章では、「ナショナリズムの要因」と「時間的制約の要因」によって制定した「学制」が、どのように形をもって人民に公布されたのかを整理した。そしてそれら要因が「学制」が実際に施行されたときに障害となる制度的不備・財政的不備や人民の経済状況・生活状況等の問題を潜めてさせてしまったことを明らかにした。第四章では、施行された「学制」に対して就学率の推移や、「学制」に対する人民の反応等を整理して、そこから「人民の学校教育に対する不理解の要因」と「人民と教師の人間関係の要因」を明らかにした。第五章では、新学制である「教育令」の制定過程を整理して、これまで述べた「学制」改革の要因が政府にどのような影響を及ぼしたかを明らかにした。終章ではこれまでの総括を行い、「学制」改革と社会の関係について言及した。
コレクション(個別)国立国会図書館デジタルコレクション > デジタル化資料 > 博士論文
受理日(W3CDTF)2017-09-02T15:28:24+09:00
連携機関・データベース国立国会図書館 : 国立国会図書館デジタルコレクション