一般注記日本語にも中国語にも可能表現があり、難しくないと思われる。両言語の可能表現の成立条件が異なるため、「ドアを開けようとしたが、開かない」の事象に対して、中国語では「想打开、但是打不开」のような対応表現の「ズレ」が存在している。本論文ではこれまでの先行研究を中心に日本語の「可能」「実現」を表す可能表現と可能表現の成立条件を概観する。日本語の無意志自動詞は可能形と共起しにくいと思われるが、「スピードが速くて止まらない」のような非形式的な可能表現がなぜ「可能」の意味を表現できるのかということについて、両言語の成立条件を取りあげ、「可能」「実現」を表す可能表現に対して日中両言語の「可能」の本質に迫りながら、対照研究の視点から日中両言語における可能表現の共通性、個別性を考察することにした。日本語の「可能」を表す自動詞構文に対して、中国語の実現可能である可能補語「V不C」が対応する。さらに、意志性が文脈に潜んでいる自動詞文は日本語の「可能」を含意する場合に、否定文が中国語の実現可能文に対応するものが多いが、肯定文はそうではない。日本語の実現可能「タ」系に対して、中国語の対応表現が非可能構文である結果補語で翻訳される例文が多いことが分かった。時間軸上において、日本語の可能表現は時制に制限されないが、意志性に制限がある。中国語の場合には時制に制限があり、可能の意味があれば可能表現を使うが、可能の意味合いがなければ可能表現を使用しない、という特徴は中国語の可能文の成立条件に影響を与えている。中国語の可能表現は時制に制限されるが、「やり過ぎると故障する」「彼が見たら驚くか?」のように必然性を表す事象と感情・心理的な作用を表す事象は可能表現で表すことができる。日本語の場合は時制に制限されないが、後者の事象は可能表現で表れず、自動詞文で表現する場合がある。このような「ズレ」の存在で日本語学習者にとって習得に問題が生じるため、今回の成果を将来の日本語教育と中国語教育に生かしたい。
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受理日(W3CDTF)2018-07-03T21:49:10+09:00
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