一般注記木星の大気環境の成り立ち、大気循環の駆動、そして熱進化は、根源的には木星大気におけるエネルギー収支、すなわち日射吸収による加熱と惑星放射(熱放射)射出による冷却によって支配されている。これまで、木星のアルベドや宇宙空間への惑星放射の観測に基づいて大気上端でのエネルギー収支が推定されてきた一方で、直接的な観測データに乏しい雲頂高度以深におけるエネルギー収支の構造については未解明であった。木星の有効温度や日射の到達深度を考慮すると、日射の吸収と惑星放射の射出を主に担う高度領域は、ほぼ雲対流層にあたると考えられる。そこではガスだけでなく雲粒などの固体成分も放射エネルギーの授受に寄与し、雲対流が放射エネルギー収支に密接に関わっていることが予想される。最近、雲形成の微物理を取り入れた雲対流数値シミュレーションや、光化学起源の着色物質の光学特性データの蓄積などにより、未知な点が多かった雲頂以深の放射活性物質の分布と光学特性について、現実的な推定が可能となってきた。そこで本研究では、木星大気における物質分布と光学特性についての最新の理論的・観測的知見を導入した木星表層大気の一次元放射対流平衡モデルを新たに構築し、木星における放射エネルギー収支の鉛直構造とその成立過程、中でも特に放射過程と雲対流過程の相互作用について、理論的考察をおこなう。放射対流平衡モデルにおいては、成層圏から対流圏にまたがる高度領域(0.001–100 bar)を対象に、日射と惑星放射をほぼすべてカバーする波数範囲10–35000 cm−1について、波数解像度1 cm−1の鉛直一次元放射伝達計算を行う。計算には、木星大気に含まれる主要な気体成分のほか、3層の雲や成層圏ヘイズおよび紫外から可視にかけての吸収体(着色物質)の分布と光学特性を取り込み、最下層の温位を固定して、放射平衡にある成層圏と対流調節が施された対流圏から成る放射対流平衡構造を求める。放射伝達計算が、現実の木星大気に適用できることを確認するため、唯一の木星大気その場観測を実施したガリレオプローブによる温度分布、物質分布、放射フラックス分布データとの比較をおこなった。その結果、観測値の不確定性や種々の未制約要素を考慮したうえで、惑星放射および日射フラックスデータの基本的な振る舞いはほぼ再現できることが確認された。木星の全球平均的な大気構造を推定するため、惑星放射とアルベドの観測スペクトルを参照した大気成分分布と対流圏温位の最適化をおこなった。観測された惑星放射スペクトルと最も整合的な温度構造は、1 bar面温度を166 Kとした放射対流平衡構造であり、対流圏界面高度は0.4 bar面に位置する。この高度を対流によって発生するNH3雲の雲頂とする。観測された反射スペクトルを最もよく説明できる雲分布は、0.6 bar付近に質量混合比の極大を持ち0.4∼1 barにわたり分布するNH3雲、そしてそれぞれより下層に混合比極大を持つNH4SH雲とH2O雲からなる。このとき、アルベドスペクトルはほぼNH3雲の寄与によって決まっており、その全光学的厚さはおよそ10(波長1 μm)、有効粒径が0.5 μmであった。このときの雲質量密度分布は、木星雲層の古典的なモデルである平衡雲凝結モデルに比べて千分の一程度であり、これは本研究が参照した雲対流シミュレーションから推定される結果と整合的である。またNH3雲に対して一定の割合で混在すると仮定した着色物質は全体で0.06の光学的厚さ(波長1 μm)を持つ場合に、アルベドスペクトルの赤化傾向が最もよく再現できる。これにガリレオプローブによる探査から得られた大気深部重元素混合比を元に熱化学平衡と光解離を考慮した鉛直分布を持つ気体分布と、光学的に非常に薄い成層圏ヘイズ層を加えたものを、標準大気モデルとした。標準大気モデルにおいては、雲層は惑星放射の中心波数帯では光学的に薄く、5 μm帯を除いて、ほとんど放射を遮らない。他方、短波放射に対しては有効な散乱体としてはたらき、木星のアルベドを顕著に引き上げる効果を持つ。雲の無い成層圏ではH2ガスによる放射冷却とCH4ガスによる日射加熱により放射平衡が保たれるが、雲がある対流圏では雲頂付近においてH2ガスに加えてNH3ガスによる放射冷却も強く寄与し、CH4ガス及び着色物質による日射加熱を卓越している。ここで放射冷却が卓越することで、対流不安定が励起され雲対流が駆動されると解釈できる。標準大気モデルの構造に基づき、木星表層大気におけるエネルギー収支を大局的に表す4層モデルを新たに提案する。これは成層圏を、温度極小高度を境に上部成層圏と下部成層圏に、対流圏を放射冷却率の大きい上部対流圏とより深部の下部成層圏に分けるものである。特に上部対流圏は、太陽放射の吸収と木星から宇宙空間への惑星放射の大部分を担い、正味の冷却と大気深部から汲み上げられた気塊からの潜熱解放が生じていることで特徴づけられ、雲対流のみならずより大規模な大気循環のエンジンとみなすことができる。放射冷却と潜熱加熱のバランスから雲対流の間欠周期が決まるとすると、現実の木星において観測されている積雲形成の周期(3–10年, Fletcheret al., 2011)を説明するには、太陽組成比の13倍以上の大気深部H2O混合比が必要である。これは標準大気モデルより2倍以上大きな混合比だが、H2Oは大気深部で凝結するため、この程度まで混合比を上昇させても、今回考慮した波長域でのアルベドおよび惑星放射スペクトルにはほとんど影響しない。
(主査) 教授 倉本 圭, 教授 高橋 幸弘, 准教授 石渡 正樹, 准教授 はしもと じょーじ (岡山大学大学院自然科学研究科)
理学院(宇宙理学専攻)
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受理日(W3CDTF)2019-05-06T10:27:56+09:00
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