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文書・図像類

長歌撰格 : 長歌撰格

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長歌撰格 : 長歌撰格

資料種別
文書・図像類
著者
橘守部 : タチバナモリベ
出版者
-
出版年
1873
資料形態
ページ数・大きさ等
2
NDC
-
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資料に関する注記

一般注記:

タイトル注記:原題簽存(左肩双辺、紅色料紙)。内題同。灰白色表紙、布目(型押)。四周単辺12行。○橘守部は国学者。初め飯田氏。名元輔。通称源助・庭麻呂。伊勢朝明郡小向村の人。12歳の時に一家が破産、大坂に移る。寛政9年江戸に出る。文化6年武蔵幸手に移住、文政12年再び江戸に出て大半を浅草弁天山に住す...

資料詳細

内容細目:

長歌の詠み方について具体的に論じた歌論書。漢字かな交じり。まず上つ世の長歌は唱うべく作られたもので、それに伴う調べがあるとする。次に記紀歌謡や万葉集所収に長歌の例を挙げ、同語類似語を重ねる「畳句」や「譬喩」など種々の修辞について符合で示して分析し、一方で古今集以下の集に載る長歌については風調句格を失...

解題・解説:

正二位季知序(三条西季知)。明治6年6月、正四位松浦詮序(旧・肥前平戸藩主)。明治6年8月、鈴木重嶺序。巻首「橘守部撰述」。奥書「文政二年三月/守部艸」。本文最終丁裏左端に刊記「江里川千照蔵梓」。明治6年さ月、橋本直香跋。(提供元: デジタルアーカイブシステムADEAC)

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書誌情報

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資料種別
文書・図像類
タイトルよみ
チョウカセンカク
著者・編者
橘守部 : タチバナモリベ
出版年月日等
1873
出版年(W3CDTF)
1873-01-01
数量
2
25.6/18.2
本文の言語コード
jpn
対象利用者
一般
一般注記
タイトル注記 : 原題簽存(左肩双辺、紅色料紙)。内題同。
灰白色表紙、布目(型押)。四周単辺12行。○橘守部は国学者。初め飯田氏。名元輔。通称源助・庭麻呂。伊勢朝明郡小向村の人。12歳の時に一家が破産、大坂に移る。寛政9年江戸に出る。文化6年武蔵幸手に移住、文政12年再び江戸に出て大半を浅草弁天山に住す。嘉永2年没69歳。○鈴木重嶺序に「…其巻の名を長歌撰格となむいふそはうつしまきにて世に伝らんには誤写あらむことをうれへかつは翁のいさをとこしなへにうせさらむことを思はれてこたひ薫園のぬし(橋本直香)其をしへ子松平康正ぬしにはかりて桜木にちりはめ…」、橋本直香跋に「先此長き方より板にゑらせてあまねく世にかをらせはやと松平閑山江里川千照のぬしたちとおなしこゝろに思ひ起してかくとち巻となしつるは…」とあり。○橋本直香は国学者。通称彦八。号薫園。上野山田郡境野村の飛脚問屋に生れる。40歳余で家業を捨て江戸に出る。橘守部に入門、その後継者として一家を成す。赤坂弁天山のち赤坂氷川神社の傍らに住み、大名旗本から町人まで多くの門人を教える。明治22年没83歳。○松平康正(閑山)は伝不詳。橋本直香門。柳営補任によれば、幕末期の旗本に同名の2人あり。一は高三千石。名久之丞。出雲守のち備中守。履歴は弘化4年正月御使番、安政2年正月御目付同6年9月御勘定奉行、文久2年8月御留守居、同年11月御役御免差控、同3年11月寄合肝煎、元治元年7月田安家家老、同年11月大目付、同年12月勘定奉行(再役)、慶応元年10月御役御免、同2年3月寄合肝煎、同年8月普請奉行、同年10月御役御免。一は高六千石。名禎之丞。因幡守。履歴は安政6年12月大御番頭、文久3年8月大目付、同年9月御役御免、元治元年4月京都見廻役、慶応2年御役御免。このうちの何れかか。○江里川千照は、通称助太郎。江里川千丈の男。東京材木町住。士族。明治16年『菫菜舎遺稿』あり(以上『名家伝記資料集成』)。
カテゴリ名 : 無し
資料の種別 : 文学 和歌
資料の分類 : 和書-文学 和歌 歌論作法
公開範囲 : デジタルコンテンツなし