文書・図像類

摘翠帖 : 足利誌資料草稿

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摘翠帖 : 足利誌資料草稿

資料種別
文書・図像類
著者
相場古雲(朋厚) : アイバコウン
出版者
-
出版年
1911
資料形態
ページ数・大きさ等
1
NDC
-
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資料に関する注記

一般注記:

タイトル注記:書名は原表紙左肩書外題による。小口書「諸用留」。旧目録、「足利誌資料草稿」として一括する99冊のうち第99冊。素紙表紙本に覆表紙(渋横刷毛目)を付す。左下版外に「(山形に升形の商標)升久」とある四周双辺12行罫紙。○大日本人名辞書に「相場朋厚 画家、栃木県足利郡北郷村の人、幼時兵馬と呼...

資料詳細

内容細目:

足利の文人で足利学校遺蹟の保存に尽力した相場古雲の自筆雑記、張込帖。自撰の漢文や種々の新聞記事切抜きを収める。内容の一部、「記謁前左府藤忠房公事」(慶応4年藩命により上京中、友人岡谷繁実より、前左大臣近衛忠房公が足利学校を恢復すべきと語った話を聞く、たまたま同年春に足利藩主戸田忠行公が大総督府に足利...

解題・解説:

原表紙右に「凮月長生舎」、同外題下部に「自明治三十年八月」。末尾の記事は明治44年1月16日。(提供元: デジタルアーカイブシステムADEAC)

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書誌情報

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資料種別
文書・図像類
タイトルよみ
テキスイジョウ
著者・編者
相場古雲(朋厚) : アイバコウン
出版年月日等
1911
出版年(W3CDTF)
1911
数量
1
26.0/18.8
本文の言語コード
jpn
対象利用者
一般
一般注記
タイトル注記 : 書名は原表紙左肩書外題による。小口書「諸用留」。
旧目録、「足利誌資料草稿」として一括する99冊のうち第99冊。素紙表紙本に覆表紙(渋横刷毛目)を付す。左下版外に「(山形に升形の商標)升久」とある四周双辺12行罫紙。○大日本人名辞書に「相場朋厚 画家、栃木県足利郡北郷村の人、幼時兵馬と呼び足利藩士大月克の養子となり用人格に登用せられ明治戊辰の際京都江戸の間を奔走して藩の枢機に参ぜり廃藩の後西洋画を研究し又田崎草雲に就き南画を学び古雲と号す明治二年神祇官に出仕、幾くならずして辞し足利学校遺蹟保存の事に全力を傾倒し四十年間一日の如し明治四十四年六月病没す年七十八」。○本書10丁目の後に古雲の墓誌草稿を記した罫紙を綴込む。それによれば、諱朋厚。称兵馬。下野足利郡田島村野内勇八の第二子。足利藩士相場朋克の養子。同家を嗣ぎ藩の小吏となる。明治2年神祇官に出仕、間もなく辞して帰藩、大属に任ず。明治5年2月廃藩免官。明治44年6月22日病没78歳。妻は金井氏。子無く、川島氏女ミネを養子とする。天性豪邁。嘗て真尾某に剣法を、佐々木某に経史を学ぶ。文久元治の交、常州野州の間に盗賊が出没、命を奉じて鎮圧した。罷職後は優遊自適、絵画を以て楽しみとした。末に妻の墓誌もあり、妻は名連以。野州安蘇郡堀込村金井氏の女。安政3年12月相場氏に帰す。明治45年2月27日没76歳。古雲の墓誌の下部に別筆の附箋あり、「廃藩免官後、四十年間一日の如ク足利学校遺蹟保存之為尽醉せし事を記入被下度候」と記す。○相場古雲の著述、『足利学校遺蹟全図並略歴』(明治35年刊)。墓所は足利法楽寺。
カテゴリ名 : 無し
資料の種別 : 総記 随叢
資料の分類 : 和書-総記 随叢 雑抄
公開範囲 : デジタルコンテンツなし