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文書・図像類

抱樸園文存 : 抱樸園文存

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抱樸園文存 : 抱樸園文存

資料種別
文書・図像類
著者
倉田幽谷 : クラタユウコク
出版者
-
出版年
1916
資料形態
ページ数・大きさ等
2
NDC
-
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資料に関する注記

一般注記:

タイトル注記:原題簽存(左肩単辺)。見返題・内題等同。土器色表紙。石版。四周単辺10行20字。句点入。○「行述」によれば、倉田幽谷は諱施報。字務卿。初名善友。幼称亥之助。通称直八。立見氏。下総佐倉藩士。藩学に入り、のち江戸に遊学、安井息軒に従い、羽倉簡堂の塾に入る。藩の給資により昌平黌に学ぶ。数年後...

資料詳細

内容細目:

倉田幽谷の遺稿文集。序によれば、自作の文の伝えられることを望まなかったため、没後に門人の中村忠誠と小島正卿(守政)が遺篋より159篇を得てそれぞれ一部を写し、さらにその中から43篇を抄して公刊したもの。所収の文は上巻:上息軒先生書、与国学者某書、与麹生絶交書、約観梅牘、送三浦公道序、送上田士幹序、送...

解題・解説:

大正5年4月、門人中村忠誠(朱印「中村忠誠」「住在都西」)序。巻首「北総 倉田施報務卿著」。本文末に奥書「受業 〈中村忠誠/小島守政〉同輯/男 武夫写」。大正5年5月印刷・発行、著者 古人倉田務、編輯兼発行者 倉田武夫(東京市牛込区弁天町百三十四番地)、印刷者 斎木真三郎(東京市赤坂区青山南町五丁目...

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書誌情報

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資料種別
文書・図像類
タイトルよみ
ホウボクエンブンソン
著者・編者
倉田幽谷 : クラタユウコク
出版年月日等
1916
出版年(W3CDTF)
1916-01-01
数量
2
23.5/14.9
本文の言語コード
jpn
対象利用者
一般
一般注記
タイトル注記 : 原題簽存(左肩単辺)。見返題・内題等同。
土器色表紙。石版。四周単辺10行20字。句点入。○「行述」によれば、倉田幽谷は諱施報。字務卿。初名善友。幼称亥之助。通称直八。立見氏。下総佐倉藩士。藩学に入り、のち江戸に遊学、安井息軒に従い、羽倉簡堂の塾に入る。藩の給資により昌平黌に学ぶ。数年後帰郷、藩学の都講となる。佐倉の風習の軽薄を嫌い、また執政老臣と争い、自ら請いて藩を去り、姓名を倉田務と改め、信毛の間に客遊する。「吉井英明公」(上野吉井藩第九代松平(鷹司)信発)に招かれ藩の子弟に教え、廃藩後は東京に寓し私塾で教授する。旧友で埼玉県学の木原老谷が提学川島楳坪と謀り招くが学制が改まり、東京に戻る。明治33年5月29日没74歳。大久保専念寺に葬る。西村泊翁、依田学海は藩学の旧友。薩摩の重野成斎、紀伊の三浦雷堂は昌平黌の学友。息軒に後事を嘱され、没後に諸事を差配したことを谷隅山(干城)が悦ばなかった話あり(後に和解)。
カテゴリ名 : 無し
資料の種別 : 文学 漢文
資料の分類 : 和書-文学 漢文 別集
公開範囲 : デジタルコンテンツなし