type:Thesis
ヒトの透明視研究は,20世紀初頭Fuchsによって発見された錯視に関する現象学的検討に端を発し,その後,多くの実験手法の充実と精神物理学・生理学・心理学の横断的観点から『透明視の生起条件は何か』という研究が展開されてきた.本研究では,先ず,透明視及びその清澄感に関わる心理学的過程を解明するための基礎資料として,無彩色刺激に対する透明視に関わる現象を,統一的に記述可能な指標を明らかにした.次に,有彩色刺激について,反対色過程を対象にその出力と透明視清澄感との関係について解析を行った.そして,本研究及び先行研究の成果に基づいて透明視及び清澄感・濁り感に関与するヒトの情報処理過程に関する概念的な枠組みを提案した. 第1章では,まず透明視研究の展開を4つの段階に分けて概観した.第1は,透明視現象の発見に始まり錯視としての見えの特徴を捉える段階,第2は,光強度特性から透明視を理解する段階. 第3は,光学要素と知覚要素を結びつける段階,そして,第4は,視覚情報処理過程の観点から透明視を理解しようとする段階である.このような研究の展開を明らかにすると共に本研究の位置づけと目的を述べた. 第2章では,無彩色重なり図形を用いて,透明視清澄感に対する明るさ要因,図形要因,教示要因の効果を検討した.重なり図形の清澄感には,明るさ要因が大きく影響したが,図形の背景部分と重なり部分の間に見られる明るさの「跳び越し対比」効果が大であると考えられた.また,面積も要因の一つであり,面積が大きい場合に対し,面積が小さい領域は図的性質を帯び,図-地関係を示す大小図形間での対比効果は大きくなった.二図形の図地ともに面積が小さい横長長方形ではさらに清澄感が強調された.これらの結果から,白,黒の背景輝度に近い小長方形の透明視面では,高い清澄感が得られる傾向にあった.さらに,重なり図形の上下関係の知覚も要因の一つであり,この知覚の安定化に教示が大きく影響すると考えられた. 第3章では,透明視のうち清澄感を伴うものと,濁り感の2種類が透明視面の重なり部分・非重なり部分,及び背景の輝度条件にどのように依存するかを検討した.実験では,3つの背景条件(白・黒・淡灰背景)毎に重なり部分の輝度(実験3-1),および非重なり部分の輝度(実験3-2)を変化させ,被験者に「非常に澄んでいる」から「非常に濁っている」までの範囲で評価を求めた.その結果,実験3-2の淡灰背景条件以外では,重なり部分と非重なり部分との輝度差分が大きいほど,そして,非重なり部分と背景との輝度差分が小さいほど,濁り感が減少し清澄感が増すことが示された.これらの結果は, 2つの輝度差分の比と背景輝度により統一的に記述可能であることが示唆された. 第4章では,色彩情報処理の初期過程である反対色過程における色情報と輝度情報が清澄感に及ぼす影響について検討した.実験(4-3)では,有彩色と無彩色の重なり図形の清澄感を,有彩色図形の色度と輝度を変数としてマッチング法により測定した.有彩色図形については,DKL空間の(L-M)軸,S軸上に各々の色対を設定し対内の2色の色信号強度は等しくした.その結果,色信号強度レベルと輝度が変化しても対内の色に対する清澄感は等しくなった.また,輝度を低下させると清澄感は高くなった.さらに,清澄感は輝度情報のみの無彩色領域で高い傾向を示し,色情報が加わると急速に低下することが示唆された. 第5章では,本研究及び先行研究の成果に基づいて透明視及び清澄感・濁り感に関与するヒトの情報処理過程に関する概念的な枠組みを提案する.第3章では,透明視成立時における「清澄感/濁り感」評価は,刺激の「輝度差分比」と背景輝度によって統一的に記述可能であり,また,同じ刺激条件下での透明視面の「色味量」評価に関しても同様に,「輝度差分比」の関数として記述可能であることが示された.この透明視の「清澄感/濁り感」に関わる「輝度差分比」が,視覚情報処理過程のどの段階で処理されるかを検討することを目的に透明視に関する処理過程について7段階からなる枠組みを提案した.これらの段階は,「局所的明るさ・色変化情報の抽出」,「エッジ・方位情報の抽出」,「局所的面の形成」,「局所的面の統合」,「透明視面の生成」,「輝度差分比の抽出」及び「清澄感/濁り感の生成」であり,各段階における処理内容,情報表現とそれらに対応すると考えられる神経生理的過程について述べた.従って,第3章の「清澄感・濁り感」評価,またその「色味量」評価は輝度差分比の関数であり,情報処理過程の中では色味量を手掛かりに「清澄感・濁り感」が評価されることが推測された.従来の研究では,「透明視面の生成」における透明視成立生起比率や奥行き順位つけ等に関して検討が行われてきたが,今回の枠組みでは透明視成立後の面の知覚的属性に関する段階に枠組みを広げたことに意義が有ると言える.今回の枠組みが正しいか否かは,批判を受けるところであるが,今後の透明視研究を進める上で基礎となる概念的基盤を提供するものである. 第6章では,本研究の成果をまとめ今後の課題について述べることで結論とした.