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文書・図像類

尾藩禁方集成 : 尾藩禁方集成

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尾藩禁方集成 : 尾藩禁方集成

Material type
文書・図像類
Author
浅井正封(貞庵)・山崎克明(九皐)・村上祐之編 : アサイマサヨシ・ヤマザキカツアキ・ムラカミスケユキ
Publisher
-
Publication date
1868
Material Format
Paper
Capacity, size, etc.
75
NDC
-
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Notes on use

Note (General):

タイトル注記:原題簽存(左肩双辺、刷題簽、寸法19.2/3.9)。各外題下部に編名と巻数を墨書(勝田亨筆)。縹色表紙。半丁10行。○第33冊以前には僅かながら平出(本書では平手に誤る)本との校合書入あり(朱書付箋)。○主編纂者である浅井貞庵(正封)は名古屋藩医。文政12年没60歳。本書完成の文化2年...

Detailed bibliographic record

Contents:

名古屋藩の藩命により編纂された、本朝に伝わる漢方の古方を集大成した方集。部類した病症別に方を列挙する。漢文体(白文)。体療編20冊、婦人編8冊、小児編10冊、眼目編6冊、瘡瘍編26冊、通治編3冊、雑方編1冊、薬名抄解1冊の全8編75冊より成る。巻頭の「総目」によれば通治編の後に鍼灸編1冊があるが本書...

Analysis:

寛政10年9月、本藩臣浅井正封自序(白文)。上疏文あり、文中に「…通計八編合七十有五巻本末已整繕写始了遂以文化乙丑(2年)正月日臣正封謁府進納」。第69冊末に元奥書「右膏方一門亦当訳以漢字而一全書之体然其薬方多出海上而以方言伝之臣等不習其学不能弁之其間記者之誤亦不可知竊恐昏昧輒失其真而使覧者或受其誤...

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Paper

Material Type
文書・図像類
Title Transcription
ビハンキンポウシュウセイ
Author/Editor
浅井正封(貞庵)・山崎克明(九皐)・村上祐之編 : アサイマサヨシ・ヤマザキカツアキ・ムラカミスケユキ
Publication Date
1868
Publication Date (W3CDTF)
1868
Extent
75
26.5/19.1
Text Language Code
jpn
Target Audience
一般
Note (General)
タイトル注記 : 原題簽存(左肩双辺、刷題簽、寸法19.2/3.9)。各外題下部に編名と巻数を墨書(勝田亨筆)。
縹色表紙。半丁10行。○第33冊以前には僅かながら平出(本書では平手に誤る)本との校合書入あり(朱書付箋)。○主編纂者である浅井貞庵(正封)は名古屋藩医。文政12年没60歳。本書完成の文化2年に36歳。共編の山崎九皐(克明)は名古屋の町医。貞庵の祖父図南と父茅渟の門人。寛政3年名古屋藩寄合医師に抜擢される。文化7年没76歳。養嗣子の祖静(菜茹)も本書編纂に従事した。村上祐之は伝・生没年未詳。上疏文によれば体療編完成の寛政9年以前に病死。○名古屋藩旧蔵の旧蓬左文庫蔵本は現在、徳川黎明会蔵。平出本は伝存不明。○体療編巻20、「雑治」に「又方(治狐祟方)〈林道春伝〉荏油煎熬成膏男塗陰茎女塗陰門患人忽走出而仆地者便是狐去少与稀粥養之」。○書写者である勝田氏父子について、蟹江和子氏の資料教示に基づき、以下にまとめておく。勝田氏の父は名古屋藩医と思われ、該当するのは勝田三雪。蓬左文庫蔵『藩士名寄』47によれば、先代三雪(天保10年没)の惣領。初名三栄。天保2年5月御番医師並、御切米36俵。同6年正月御番御医師52俵。同年7月奥詰御医師100俵。同年12月奥御医師格。同11年正月150俵。慶応元年8月14日病死。その養嗣子の快庵(快造)が亨に該当するか。『旧名古屋士族別簿』によれば、天保12年生。町医で名古屋藩御目見医師となった山田泰淳の長男。妻のぶは名古屋藩医で国学者としても名高い田中尚房の妹。台所町三町目住。菩提寺は押切町日蓮宗本龍寺。『藩士名寄』によれば、初名快庵。慶応元年10月、亡父三雪の遺跡を相続、寄合御医師。明治2年4月、快造と改名。同年11月、役名が一等医と改称。同3年閏10月、一等医廃止。同4年正月、軍事方に附属。本書を書写した慶応4年に28歳。
カテゴリ名 : 無し
資料の種別 : 医学 漢方
資料の分類 : 和書-医学 漢方 方集
公開範囲 : デジタルコンテンツなし