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Bibliographic Record
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- Material Type
- 文書・図像類
- Title
- Title Transcription
- トヤマベッソウエマキ
- Author/Editor
- 山崎玄恵(盈清)編・山本(藤)秀月画 : ヤマザキゲンケイ・ヤマモトシュウゲツ
- Publication Date
- 1795
- Publication Date (W3CDTF)
- 1795
- Extent
- 131.2/2238.7
- Text Language Code
- jpn
- Target Audience
- 一般
- Note (General)
- タイトル注記 : 外題内題なし。書名は仮題(旧目録に従う)。巻子本保存状況 : 疲れ金茶色絹装表紙、ほぼ剥落。見返は薄墨色、金切箔散し。『釈奠之図』(午-48)と同装丁。○『徳川実紀』寛政5年3月23日条「高田のほとり御放鷹あり。雉子を捉得らる。尾の戸山邸へ立寄られて還御なる」。寛政7年4月9日条「高田のほとりに成らせられ。雉子三羽捉獲らる」。○山崎玄恵(盈清)は幕臣。伝未詳。寛政3年の武鑑、「御用部屋御坊主」に「〈あさふ市兵衛丁〉山崎玄恵」。なお、亀有村の香取神社境内に、文化10年屋代弘賢撰文の「玄恵井之碑」あり、それによれば、文化2年正月、幕府鳥見役人の水谷又助が山崎玄恵という老人の指示で屋敷内に井戸を掘ったところ水が湧き出た由。同一人物か。○山本(藤)秀月は伝未詳。○成島和鼎(かずさだ)は幕臣。通称梅之助・忠八郎。号龍洲。成島信遍(錦江)の嫡子。寛延元年10月御鷹匠見習。宝暦8年12月御勘定。41歳の宝暦10年11月遺跡を継ぎ、御勘定格奥詰(廩米百俵月俸二口)。明和6年11月儒者格。安永9年6月御書物奉行に準ず。冷泉家に入門して和歌を学ぶ。文化5年5月4日没89歳。○藤原長貴は伝未詳。寛政重修諸家譜に見える幕臣中、同時代人で本姓藤原かつ名長貴であるのは、①岡部長貴(ながたけ):岡部長説の嫡子。通称岩三郎。10歳の宝暦13年12月将軍家治の子家基の御伽となる。明和5年2月西城の御小性。明和7年8月家を継ぐ(3千石)。明和8年12月任隠岐守(のち甲斐守・出羽守・因幡守)。家基死去により安永8年4月寄合。安永9年8月中奥御小性。天明6年閏10月御小性組番頭。天明7年10月西城御書院番頭。天明8年6月御書院番頭。寛政元年閏6月大番頭。寛政4年12月御側。寛政6年10月家慶に附属。寛政8年5月本城に復す。寛政7年に42歳。②伊東長貴(ながたか):備中岡田藩(1万3百石)第八代伊東長寛の長男。通称勇之助。早世したか。③鵜殿長貴(ながたか):鵜殿長称の嫡子。通称采女・与三郎・内記。17歳の寛政3年6月遺跡を継ぐ(7百石)。寛政10年5月西城御小性。④丹羽長貴(ながよし):陸奥二本松藩第七代高庸の嫡子。通称五郎左衛門。16歳の明和3年正月遺領を継ぐ(10万7百石)。寛政8年3月没46歳。○このうち可能性が高いのは①岡部長貴。『柳営補任』によれば、寛政4年12月御側衆。寛政6年10月若君様御附兼帯。寛政8年5月御本丸。文化8年4月26日没。寛政7年の武鑑の「御側衆 五千石高」に「(三つ巴紋)〈父源太左衛門 三千石〉岡部出羽守長貴」とあり、寛政6年10月より「若君様 御附衆」の「御側衆」を兼任した。カテゴリ名 : 無し資料の種別 : 芸術 書画資料の分類 : 和書-芸術 書画 絵画公開範囲 : デジタルコンテンツなし