極東国際軍事裁判記録(当館所蔵分)

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憲政資料室 作成

主な内容

当館で所蔵する主な東京裁判資料は以下のとおり。【 】内は当館請求記号。

Transcripts of Court Proceedings 速記録
公判廷の速記録。英文版と和文版がある。
Transcripts of Proceedings in Chambers 非公開審理速記録
公開法廷でなく非公開で行われた審理の速記録。資料は英文のみ。非公開審理は、下掲 Court Papers中の申立てや請求等に基づき手続的事項や付随的事項の裁判に関して行われた。例えば、廣田弘毅の夫人の葬儀への参加のための仮釈放申請について(1946.5.20と5.21)、木戸幸一日記の返却請求について(1948.1.22)、など。
Court Papers 法廷文書
宣誓供述書、被告の罪状認否、弁護人への委任状及びその承諾書、被告の疾病の証明、公判開廷通告、弁護側の申立て、裁判所の命令、冒頭陳述、判決・付属書・個別意見、刑の言渡しなどを含む。1~1740の番号が振られている。資料は主に英文だが、弁護側から提出された文書は和文のものもある。カード目録及び資料リストが命令、手続規則、起訴状写しおよび弁護側申立てを含む法廷文書索引にある。
Prosecution Evidential Documents 検察側提出証拠・未提出証拠
検察側から提出された証拠(提出され却下・撤回された証拠を含む)及び未提出の証拠。1から11529まで番号が振られている(枝番、欠番あり)。
Defense Documents 弁護側提出証拠・未提出証拠
弁護側から裁判に提出された証拠(却下・撤回された証拠を含む)及び未提出の証拠。1から番号が振られている(枝番あり)。
Court Exhibits 法廷証
裁判所により採用された証拠(法廷証)。検察側文書番号、弁護側文書番号に加えて法廷証としての1から3915までの通し番号(枝番あり)が振られている。
Summation 検察側最終論告と弁護側最終弁論
検察側最終論告(一般最終論告(A~K)、被告個人ごとの最終論告)と弁護側最終弁論(一般最終弁論、被告個人ごとの最終弁論)、弁護側弁論に対する検察側最終回答から成る。詳細は憲政資料室所蔵資料群別所蔵一覧(PDFファイル 320.6 KB)を参照のこと。
Judgments and Opinions 判決・意見書
判決(1~10章)、付属書A、B、オランダ代表レーリング判事意見書、インド代表パール判事判決書、フィリピン代表ハラニーヨ判事同意意見、ウェブ裁判長別個意見、フランス代表ベルナール判事反対意見から成る。Court Papers Nos. 1738~1738-Gとして配付された。判決は速記録にも収録されている(48413頁~49858頁)。
Narrative Summary of the Court Proceedings 速記録要旨
公判速記録のページに沿って要旨をまとめたもの。各ページの左側余白に速記録のページが示されている。英文のみ。The Tokyo War Crimes Trial, Index and Guide(Garland, 1981-1987) Vol. III 【A191-50】では、これとは別に速記録全体について独自に作成したものを収録している。
歴史

ポツダム宣言第10項に基づき、占領軍は1945年9月11日から戦争犯罪人として東条英機元首相ら日本の軍・政治・経済の指導者の逮捕を開始し、12月6日までに100名以上を逮捕・拘禁した。1946年1月19日、連合国最高司令官マッカーサーは特別宣言により極東国際軍事裁判所(International Military Tribunal for the Far East, IMTFE)の設置を命じ、さらに同日の一般命令第1号により裁判所の構成、管轄、権限等を定めた極東国際軍事裁判所憲章が制定された。2月15日、この憲章に基づく一般命令第7号により、降伏文書署名9か国(米国、英国、中国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、フランス、ソ連)から代表判事が任命され、裁判長にはオーストラリア代表判事ウイリアム・ウェッブ(William F. Webb)が任命された。その後、4月26日の一般命令第20号による憲章の改正によりフィリピン及びインドから代表判事が追加任命された。
4月29日、国際検察局は同裁判所に起訴状を提出した。訴追期間を1928年まで遡り、東條英機ら被告28名を「平和に対する罪」、「殺人」及び「通例の戦争犯罪および人道に対する罪」の3グループに概括される55の訴因で起訴した。極東国際軍事裁判(「東京裁判」)は、1946年5月3日の開廷から1948年11月12日に刑の宣告が行われるまで2年半の期間に及び、公判中に死亡した2人、病気で免訴となった1人を除いた25人全員が有罪とされた。12月23日、絞首刑判決を受けた7名に対する刑の執行が行われ、同月29日、極東国際軍事裁判所は閉鎖された。
極東国際軍事裁判所で証拠として採用された資料の一部は、裁判終了に向けて所有者へ返還するため回収請求が相次ぎ(下掲 Court Papers参照)、裁判終了までに多数が返還されている。米国国立公文書館移管後、外務省からの外務省記録の返却要求に対して、同館は、原本を保管することにより極東国際軍事裁判記録の一体性を損なわず維持することが他の裁判参加国に対する米国政府の責務であるとして、証拠として採用された文書について返還を拒んだ(「外務省文書」参照)。
関係者に配付された裁判資料は謄写版で少数部数のみ印刷され、裁判開廷中から朝日新聞社、早稲田大学、東京大学社会科学研究所、最高裁判所図書館が弁護人等から裁判資料の収集を行った。裁判終了後、(1) 裁判所事務局で保管された資料は、原文書とともに米国国立公文書館に移管された(極東国際軍事裁判記録選(RG 238))。(2) 検察官に配付された資料は、国際検察局文書(RG 331)として米国国立公文書館に移管された。(3) 各裁判官に配付された資料のうちには、裁判官がそれぞれの国に持ち帰り、その一部は図書館等に寄贈された(下掲「関連資料」参照)。(4) 弁護人に配付された資料については、法務省が1955年から1963年にかけて日本人弁護人と弁護人のファーネス(George A. Furness)とブレイクニー(Ben B. Blakeney)の資料を収集した(豊田隈雄著 戦争裁判余録 泰生社 1986 【A191-E1】 p. 460以下)。

関連資料
関連文献