学制150年 ―学校がはじまる―
明治5(1872)年8月に「学制」が発布されました。すべての国民が小学校に就学することが定められ、全国に学校が整備され近代的な教育がスタートしました。
令和4(2022)年は学制発布から150年目にあたります。今回の展示では近代教育の始まりをご紹介します。
Ⅰ.藩校から近代的な学校へ
江戸時代には幕府の学問所、各藩には藩校や郷校、また庶民には私塾や寺子屋などの学べる場所がありました。特に私塾は、武士・町人共に学ぶ教育施設であり、近代の学校の前身ともいえます。
明治5(1872)年の学制の序文では、欧米の近代思想に基づく個人主義・実学主義の教育観と、四民平等の立場での全国民を対象とする学校制度であることが強調されました。
しかし、初等教育で使用される教科書は整備されていなかったため、民間で出版された啓蒙書・翻訳書等が教科書の代わりとなりました。
民間で出版された啓蒙書・翻訳書
Ⅱ.教科書の成立と授業
学校教員養成のために設立された師範学校では、小学校で使用する教科書の編纂も行われていました。学制に続く「小学教則」により、使用される教科書名が示され、師範学校でも欧米の教科書を範とする『小学入門』等が作成されました。
また、学校では、アメリカの初等教育で使用するチャートをまねた掛図を用いて授業を行いました。掛図は各府県で翻刻され、広く小学校に行き渡りました。
「小学教則」に示された教科書
掛図・教育錦絵
Ⅲ.教育指導書の数々
近代教育の教授法は、寺子屋式の個別指導から学校での一斉教授に変わりました。これに伴い、教師用の教授法の書籍が作られ珍重されました。またアメリカに留学した伊沢修二・高嶺秀夫らによって、スイスの教育者ぺスタロッチの開発教育が輸入され、明治12~3年ころから17~8年にかけて大きな影響を与えました。