結構毛だらけネコ本だらけ
ネコの諸相を「科学・生物学」、「ネコと人の文化・社会的な関わり」、「表現・創作物のモチーフ」の観点からご紹介します。
1.ネコを知る~科学的な視点から~
人間にとって身近な動物「ネコ」について、私たちはどれくらい知っているでしょうか。このトピックでは、ネコに対する探究の歴史をかいまみるとともに、ネコという生き物を知るうえで役立つ資料を、科学的視点からご紹介します。
動物学 上
ブロムメ 著, 田中芳男 抄訳, 中島仰山 画. 博物館, 明7.11【4-68】
ドイツ人ブロムメの博物学書の動物部分を、博物学者である田中芳男が訳したもの。中嶋仰山による色彩画も添えられている。当館所蔵分には、東京博物館と教育博物館(どちらも国立科学博物館の前身)の蔵書印が押されており、同館から寄贈を受けたと思われる。ネコについては、体が小さく、多くは斑模様が無いが、縞模様があるネコもいること、世界中で飼われていることが書かれている。
和漢三才図会 中之巻
寺島良安 (尚順) 編. 中近堂, 明17-21【28-96】
大坂の医師寺島良安により編纂された、江戸時代の百科事典。明の『三才図会』に倣い、天文・人倫・芸能・動物・植物・日本の地域等についてまとめている。ネコに関しては、『本草綱目』『万宝全書』『三才図絵』の記述や著者の所見等に基づいて、毛の色や生殖、成長をはじめとした体の特徴等が書かれている。展示資料は、中近堂により明治時代に出版された翻刻版だが、江戸時代に出版されたものを東京本館で所蔵しており(『倭漢三才図会』【031.2-Te194w-s】)、国立国会図書館デジタルコレクションから資料を閲覧できる。
猫
石田孫太郎 著. 求光閣, 明43.5 【96-460】
ネコに関する日本最初の研究書と言われている資料。「自ら隗たるの覚悟をもって」外国の資料や自身の観察等をもとに所見を述べ、当時評価が高くなかったというネコの愛らしさを伝え、面目躍如を図ることを目的としている。ネコの種類・性質と寿命・毛色・日常生活・表情・夫婦親子関係のほか、当時の明治政府の政策を踏まえたネズミ退治によるペストへのネコの効用など、幅広いトピックを扱っている。ちなみに、 タイトルロゴが3匹のネコのシルエットによる漢字になっている。
2.ネコと生きる~ネコと人の関係~
人がネコを飼うようになった約1万年前の新石器時代以降、ネコへの対し方は様々に変化してきました。このトピックでは人とネコの関係性にスポットをあてて資料をご紹介します。
「猫のさうし」
御伽草子 第16冊 (ねこのさうし)
江戸時代前期に出版された御伽草紙。慶長7(1602)年8月中旬に京都の洛中に猫の綱を解き放つこと、売買を禁止することを命じた高札が立てられた。ネズミは身の危険を高僧の夢枕に立って訴え、それに対してネコが反論し、最後はネズミが京を去るという物語になっている。
「猫狗説」
(掲載資料 古今文章評解 2 / 村山自彊 著. 奎文堂, 明17.1,【特34-177】)
イヌが人に疎まれる一方でネコが愛される理由として、見かけや声音、性格を挙げ、ネコが得をしイヌが不当に扱われていると憂えている。この「猫狗説」は、明治前期の教科書、名家文集などの出版物に多数掲載されたことから、青少年を中心とした読者に影響を及ぼしたことが考えられる。著者の頼山陽は江戸後期の歴史家・漢詩人。京都で私塾を開いて梁川星巌、大塩平八郎らと交わり、日本の武家の歴史を記した『日本外史』は幕末の志士に読まれ、幕末・維新期の思想界にも影響を与えた。
「猫説」
(海紅園小稿 / 野田笛浦 (逸) 著. 野田鷹雄, 明14.7 【144-192】
頼山陽と同時代の儒学者・野田笛浦による「猫説」では、一風変わった観点からネコを評価している。ネコが優れているのはネズミを捕える点ではなく、ネズミがネコを恐れて出てこなくなることで抗争せずにネズミを治めるところだという。当時の県令や官庁の治世を批判した上で、ネコの心を持ち威力によって統治する者こそ県令長官に相応しい旨を説いている(最後の「必ずや能く猫の心を以て心と為す者あらば、以て令たり長たる可し」)。
「白駒氏飼猫奬勵法」
(掲載誌 東京パック / 東京パック社, 5(4) 1909-02 p.7【雑13-3】)
明治後期に日本ではペストが大流行し、明治42(1909)年に内務省から各府県に対してネコの飼育を奨励するよう命じた。これは、前年に来日したドイツの細菌学者ロベルト・コッホが、ペスト予防にはネコでネズミを駆除することが効果的と主張したことが影響している。展示資料は、当時の様子を伝えた風刺画。内容はあくまで事実とは異なるが、上からネコ飼いを奨励する異様な状況を表している。
3.ネコを描く~表現されたネコ~
ネコは人間の表現活動においても、古今東西で創作の対象となり、親しまれてきました。このトピックでは、古典や絵画など創作物に表現されたネコについて、和歌に詠まれたネコから、人間に化けた化けネコ、おもちゃのネコ、ネコ型ロボットに至るまで、様々なネコをご紹介します。
定本源氏物語新解 中
日本最古の長編小説である『源氏物語』にもネコは登場している。若菜上・下において、光源氏の正妻となった女三宮がネコを飼っており、そのネコが女三宮と柏木との許されぬ恋路を導くのである。この物語においてネコの鳴き声が「ねうねう」と表現されるが、「寝よう寝よう」と柏木には聞こえている。
吾輩ハ猫デアル
夏目漱石 著. 大倉書店, 明38-40【26-344】
言わずと知れた夏目漱石の処女小説。単行本には3人の絵師(浅井忠、橋口五葉、中村不折による挿絵が描かれている。動物のネコを主役として人気となった小説で、三者三様のネコの絵も楽しむことができる。
百猫画譜
仮名垣魯文 編, 立斎広重 画. 和同開珍社, 明11.3【209-312】
仮名垣魯文の発刊した雑誌『魯文珍報』からネコの特集号を単行本としたもの。挿絵のネコは三代歌川広重によって描かれたもので多様な動きのあるネコを見ることができる。
暁斎画談 外篇 巻之上
河鍋暁斎 画, 瓜生政和 編. 植竹新[ほか], 明20【11-111】
河鍋暁斎の生い立ちを、戯作者梅亭金鷲として知られる瓜生政和の文と暁斎の絵で綴ったもの。 暁斎(幼名周三郎)は、数え七歳の時に浮世絵師である一勇斎國芳(歌川国芳)に入門した。ネコ好きとして知られる国芳は、当時の様子を描く暁斎の絵においてもネコに纏わりつかれている。その横で絵を教わっている子どもが暁斎である。
芳藤手遊絵尽
芳藤 画. 温故木版印刷会, [大正8]【186-246】
歌川芳藤による手遊び絵の画集、展示箇所では、擬人化されたネコがうなぎ屋で楽しんでいる様子がうかがえる。歌川芳藤は幕末から明治時代にかけての浮世絵師で、歌川国芳の門弟である。手遊び人形の衣装といった緻密な模様を描くのを得意とし、手遊芳藤という渾名で呼ばれていた。手遊び絵とは、玩具絵とも呼ばれ、江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵様式のひとつで、子どもが玩具として遊んだり絵本として楽しむために描かれていた。
おもちや千種
川崎巨泉 画. おもちや千種 第2集, 1920【寄別7-7-3-2】
川崎巨泉は、大阪で活躍した明治時代の浮世絵師で歌川芳瀧の門弟である。芳瀧の婿養子となってからは、師の後を継ぎ、新聞・雑誌の挿絵等を描いていたが、明治36~37(1903~1904)年頃から郷土玩具を収集しその絵を描くようになった。
[お伽噺] 猫のしばい
小森宗次郎, 明21.7【特59-997】
子ども向け絵本。ネコを擬人化し芝居を演じさせている。展示箇所は、勧進帳の一幕を『かんじん帳⇒にゃんじん帳』等とネコっぽくアレンジして繰り広げている。
[絵本] 〔11〕 佐賀怪猫伝
牧金之助 編, 梅堂国政 画. 金寿堂, 明20-21【特59-941】
佐賀の化け猫は、江戸時代初期に佐賀藩鍋島家に実際に起こったお家騒動を基にして創作された物語である。嘉永6(1853)年に「花野嵯峨猫魔稿」として中村座が舞台化しようとするが、佐賀藩鍋島家から苦情が入り上演中止となったことでかえって有名となり、明治13(1880)年には「嵯峨奥妖猫奇談」が上演されている。
関連する人物
電子展示会「近代日本人の肖像」にリンクします。