黎明期の植物学と牧野富太郎

江戸時代、植物に関する知識は本草学や博物学として扱われており、薬用植物の栽培が行われたほか、園芸用の品種改良なども盛んでした。一方欧米では、学術的な研究と植物採集(プラントハンティング)が進んでおり、外国人により日本の植物が「発見」され、世界標準の学名が命名されてしまうという状況が続いていました。
明治初期、黎明期の植物学においては、日本に産するすべての植物を採集し、それを理解し、記述することが大きな目標となりました。

植物学の導入

明治10(1877)年に東京大学理学部博物学教室が誕生するまでは、本草学者伊藤圭介や弟子の田中芳男、小野職愨もとよしらが、博物館や博覧会に関連する職務として植物学に携わっていました。田中は「日本博物館の父」としても知られる人物です。
彼らは、洋書を翻訳して教科書や入門書を作成する等の仕事を通し、西洋の近代的な植物学を日本に導入する役割を果たしました。

伊藤圭介と小石川植物園

伊藤圭介は、江戸時代に西洋の植物学を導入した人物でもあります。 シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796-1866)から譲り受けたツュンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743-1828)の『日本植物誌(フロラ・ヤポニカ)』を翻訳、文政12(1829)年に『泰西本草名疏』を刊行し、多くの植物学の翻訳語を作成したほか、学名と既存の和名を対応させています。

明治10年、75歳の伊藤は東京大学の員外教授となり、東京大学の付属となった小石川植物園で植物学の仕事に従事します。同年、植物園の植物の和名と学名を対応させた『小石川植物園草木目録』を編纂し、明治14-19(1881-1886)年には、彩色の植物図に解説を付した『東京大学小石川植物園草木図説』も刊行しました。

小石川植物園草木目録

なお、国立国会図書館では、伊藤圭介が収集し、その孫篤太郎が所蔵していた本草学関係書約2,000冊を「伊藤文庫」として所蔵しています。

植物学教室の誕生

明治10年に東京大学理学部植物学教室が誕生します。伊藤らの功績はあったものの、日本の植物にどんな学名がついているのかはまだ明らかとは言えず、植物学教室では初代教授である矢田部良吉のもと、日本各地へ収集旅行を繰り返し植物を採集、標本を充実させ、西洋の書物とつきあわせることで、学名を突き止めていきました。

明治17(1884)年、『日本植物名彙』により、すでに学名がつけられた2406種と和名の対照を明らかにしました。また同時期に、植物学教室が作成した3,000点にのぼる標本の目録も作成しています。こうした調査が研究の土台となり、植物学の本格的な研究が進められるようになりました。

明治20(1887)年には、牧野富太郎らの協力も得て『植物学雑誌』を刊行します。明治23(1890)年、牧野は『植物学雑誌』上で日本人として初めて、新種の植物に学名を付けます。その翌年、矢田部は、これからは日本の植物は日本人が命名する旨を誌上で宣言し、実際、そのあとから次々と新しい植物を発表していきます。

矢田部は、明治24年にこれまでに発表した図版をまとめた『日本植物図解』も出版します。

なお、『植物学雑誌』には、植物学教室の学生であった三好学による採集の記録も多く残されています。

牧野富太郎と植物図鑑

牧野富太郎は、明治17(1884)年から植物学教室に出入りし、『植物学雑誌』の刊行にも貢献しています。その一方で、東京大学の正規の学生ではなかったため、植物学教室への出入りを禁じられるなど不遇の時代も経験しています。それでも石版印刷を学ぶなどし、矢田部の『日本植物図解』と同じ明治24年には、自ら『日本植物志図篇』の刊行を始めます。

明治26(1893)年、矢田部の後を継ぎ教授になった松村任三により、牧野は植物学教室の助手として正式に採用され、明治33(1900)年頃には、大学の事業として『大日本植物志』や、より一般向けの『新撰日本植物図説』の刊行にも着手します。

しかし、こうした植物を描き記録した学術的な書物は、矢田部の『日本植物図解』も含め、いずれも100種程度の植物を掲載した段階で休刊を余儀なくされ、すべての日本の植物を記録する、といった目的に適う出版物にはなりえませんでした。

牧野日本植物図鑑

明治40年頃になると、植物への愛好家など一般の人々に向けた植物図鑑や書物が数多く出版されるようになります。牧野はこうした書物にも数多く携わり、編集者の村越三千男らと出版した『植物図鑑』には2,300種もの植物を収載しています。このほか、植物愛好家向けの新しい雑誌も出版しています。

牧野と村越は、大正14(1929)年にそれぞれ『日本植物総覧』、『大植物図鑑』というライバル関係ともいえる図鑑を刊行します。さらに村越は、編集的要素の強い植物図鑑を次々に刊行していきます。一方牧野はじっくりと新しい図鑑づくりに取り組み、既存の図鑑を全面的に刷新、斬新なレイアウトで3206種を掲載した、『牧野日本植物図鑑』を刊行します。

『牧野日本植物図鑑』の口絵には、牧野による本文校正の写真が掲載されています。初版の出版後も、牧野は原稿に手を入れ続け、名実ともに日本を代表する植物図鑑となり、改訂を重ねながら現在も愛され続けています。

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参考文献

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