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初春の梅

寒さの中、春の確かな訪れを知らせてくれる梅の花は、松や竹と共に古くからめでたい植物として親しまれてきました。今回の展示では、初春に愛でられる梅の花や香りにまつわる資料を中心にご紹介します。

1 日本の梅

梅は中国原産のバラ科の落葉高木で、奈良時代には日本に渡来していたと考えられています。花は白から紅までの色幅があり、黄金梅と呼ばれる薄い黄色のものもみられます。花の咲き方も一重や八重などさまざまで、園芸品種は300種を超えます。

『花壇地錦抄』

江戸時代前期の代表的園芸書『花壇地錦抄かだんじきんしょう』の「梅のるひ」の項には、約50種の梅の品種名があげられています。また、のちに刊行された増補版である『増補地錦抄』の冒頭には、梅を含め、いくつかの図版が追加されました。

花壇地錦抄 昭和8

元禄8(1695)年に刊行された『花壇地錦抄』の翻刻版

[地錦抄 20巻] [3] [享保18 (1733)]

『増補地錦抄』 の「梅のるい」の項

[地錦抄 20巻] [3] [享保18 (1733)]

『増補地錦抄』で追加された図

本書は宝永7(1710)年に刊行された『増補地錦抄』 を、のちに刊行された補遺版の「廣益地錦抄」、「地錦抄附録」と一括して再度刊行したもの(全20巻)

『梅譜』増補2版

明治32(1899)年には小川安村が『梅譜』の増補版の中で約350種の梅の品種名を挙げると共に、豊後生ぶんごしょう難波生なにわしょう摩紅生まこうしょうなど9種の園芸上の分類を示し、日本における梅の分類の先駆けとなりました。

梅譜 増補2版 明32.7

梅譜 増補2版 明32.7

シーボルトと梅

梅の学名 Prunus mume Sieb. et Zucc. は江戸時代に日本を訪れたドイツの博物学者、シーボルトによって付けられました。シーボルトの著作『日本植物誌』(1835年から1870年にかけて刊行)には、筑前守(福岡藩主)が所有する梅のコレクションから、最も珍しいものをスケッチさせてもらったことが記されています 。

Flora Japonica(『日本植物誌』)

本文

Flora Japonica(『日本植物誌』)

図版

本書は植物文献刊行会による復刻版(昭和7年刊行)。末尾には牧野富太郎による跋文があります。

2 梅と古典

梅が日本の文献に登場したのは、奈良時代のことです。中国の漢詩文などの影響を多く受けつつ、梅の花は和歌などに取り上げられるようになり、古典文学に広く見られる題材となっていきます。

『万葉集』の梅の歌

奈良時代の歌集『万葉集』に収められた梅の歌は約120首で、花木としては萩に次いで2番目の多さです。そのうちの32首は、天平2(730)年1月13日に大宰府の長官だった大伴旅人の邸宅で催された、いわゆる「梅花の宴」で詠まれました。『万葉集』に記録された「梅花の宴」の32首には序文があり、「初春令月気淑風和」の箇所が元号「令和」の出典となったことでも知られています。

萬葉集 20巻 [5] [慶長元和年間]

定本万葉集 二 昭和17

(左)全て漢字を用いた万葉仮名で書かれた古活字版
(右)原文と釈文が上段と下段に書かれた本(画像は釈文部分のみ)

『古今和歌集』『新古今和歌集』の梅の歌

平安時代の『古今和歌集』、鎌倉初期の『新古今和歌集』には梅の香りを詠んだ和歌が複数みられ、梅がその香りによっても愛されたことが伺えます。

古今和歌集 昭和23

新古今集詳解 1巻 明治30

『枕草子』の中の梅

『枕草子』では着物の「かさね」の色目のひとつ「紅梅」に触れ、季節外れになった「三四月の紅梅のきぬ」を「すさまじきもの(興ざめなもの)」のひとつにあげています。

枕草紙新釈 : 校定 上巻 大正8

薄様色目 文政9 [1826] 序

3 梅を描く

江戸時代以降も、梅は初春に咲くめでたい植物として愛好され描かれ、意匠としても生活の中に取り入れられました。

描かれた梅

図譜や画譜などに描かれた梅は、花をいろいろな角度から描いたもの、多様な品種を描いたもの、枝ぶりに着目したものなどさまざまです。

明朝紫硯

怡顔斎梅品 2巻 [1] 宝暦10 [1760]

応挙画譜 嘉永3 [1850]

梅園草木花譜春之部 1

本草図譜 巻61

梅園草木花譜 冬之部

俳諧季寄図考 2巻 [1] 天保13序,同刊

植物写生図帖 上

浴恩春秋両園梅桃雙花譜 [1884]

引き立て合う、梅との取り合わせ

「梅に鶯」の取り合わせは『万葉集』の時代から愛され、薄緑色の鶯は、白梅や紅梅とともに春らしい彩りで描かれました。また、紅梅と青い魚が色の対比あざやかに描かれた、目を引く取り合わせも残されています。

(梅に鶯),(桃に山鵲) (花鳥錦絵)

〔いなだ・ふぐ・梅〕 (広重魚尽)

梅の意匠

梅は着物やお菓子などの意匠にも取り入れられました。それらは、実物の梅の花と同様に、初春の喜びを分かち合うのにひと役買ったことでしょう。

梅王丸 河原崎権十郎・松王丸 中村芝翫 文久1

御蒸菓子図 [1]

小袖と振袖 第1至4輯 昭和2-3

新春模様 大正10

梅つくし 明40.2

都の春 : 模様雛形 坤 大正14

4 梅の名所

梅の名所は全国にあります。江戸時代の梅の名所としては、亀戸の梅屋敷が多く描かれました。また、その他にも四谷新町や蒲田、奈良の月ケ瀬、福岡の太宰府天満宮など各地の名所がその美しさと香りで多くの梅見客を惹き付けました。

亀戸梅屋敷

「臥龍梅」と呼ばれる名物木は、龍が地を這うような見事な枝ぶりだったことから、徳川光圀が名付けたと伝えられます。江戸時代前期頃から長らく親しまれましたが、明治43(1910)年の水害により梅の木が枯れ、廃園となりました。

日本之名勝 3版 明治34年

臥龍梅

東京梅屋敷臥竜梅

亀戸梅やしき

東都名所 亀戸梅屋舗ノ図

名所江戸百景 亀戸梅屋舗 (名所江戸百景) 安政4

江戸むらさき名所源氏亀戸梅屋舖 見立梅かえ

東都名所 亀戸梅屋舗全図

東京名所三十六戯撰 [1872]

絵本江戸土産 10編 [1]

清親畫帖 [1]

「錦絵と写真でめぐる日本の名所」で、亀戸梅屋敷のほかの錦絵や画像がみられます。

その他の梅の名所

四谷新町の梅園(東京都新宿区)
『絵本江戸土産』によれば、一面に「白銀の花」が咲くことから銀世界と称されたそうです。明治40年代には東京ガスの淀橋供給所のガスタンクが設置され、梅園は廃されました。梅は港区の芝公園に移植されて現在も春には花を咲かせ、梅園があった場所は新宿の超高層ビル群のひとつ(新宿パークタワー)へと変貌を遂げました。

絵本江戸土産 10編 [10]

東京瓦斯五十年史 昭和10年

淀橋供給所

蒲田の梅園 (東京都大田区)
『絵本江戸土産』では「清香四方せいきょうよもかんばしく」と評され、江戸時代の紀行文『十方庵遊歴雑記』の「蒲田新宿の梅見」の項によれば、広大な梅林には主に一重の白梅が見渡す限り立ち並んでいたと記録されています。

原村梅園 (東京都大田区)
明治16(1883)年に梅の実をとる目的で旧名主の原清次郎が300本を植えたことから梅見の名所となり、昭和の初めまで存続しました。

全盛四季春 荏原郡原村立春梅図 (全盛四季) 明治17

常盤公園(偕楽園) (茨城県水戸市)
日本三名園のひとつ偕楽園は、水戸藩の第9代藩主徳川斉昭が、天保13(1842)年に開園しました。当初1万株の梅が植えられたといわれます。明治2年の版籍奉還により国有地となり、その後公園に整備され、常盤公園と呼ばれるようになりました。現在でも約3000本の梅がみられ、国の名勝に指定されています。

茨城常盤公園攬勝図誌 明18.12

日本之名勝 明33.12

(常陸水戸)公園の梅林

梅屋敷(大阪市天王寺区)
大阪にも梅屋敷と呼ばれる名所がありました。文化年間(1804-1818)の初め頃に亀戸の梅屋敷を模して造られ、生國魂神社の東にあったとされます。梅園は新旧二つに分かれ、特に旧梅屋敷には古木が数百本植わり、風流人に好まれました。

浪華百景之内 梅屋敷

旅の家つと 第23 浪華の巻 明治32年

梅屋敷

月ケ瀬梅林 (奈良県)
鎌倉時代に真福寺の境内への植樹が始められ、その後染色や薬用に使う烏梅うばいを生産するために梅の木が増やされました。現在は「月瀬梅林」として国の名勝にも指定されています。

日本名勝旧蹟産業写真集 近畿地方之部 新訂 大正7年

月ケ瀬梅渓

太宰府天満宮 (福岡県)
境内に植わる多くの梅や梅園のほか、菅原道真を慕って京都から大宰府まで飛んできたという「飛梅」の伝説の御神木が有名です。

鉄道旅行案内 大正3年

太宰府神社梅園

日本名勝旧蹟産業写真集 中国・四国・九州地方之部 新訂 大正7年

太宰府天満宮(本殿向かって右側に飛梅を囲む柵がみえる)

参考文献

日本の梅

梅と古典

梅の名所