関東大震災と帝都復興
1923年9月1日、関東地方を襲ったマグニチュード7.9 の大地震によって、「帝都」東京は崩壊しました。近代日本の象徴とも言えた建造物の数々が一瞬にして瓦礫の山と化し、地震に続いて発生した火災により多数の焼死者を出した未曽有の大災害、関東大震災です。震災後間もなく、辛うじて生き残った市民は、焦土の上にバラック住宅を建て、生活を立て直す努力を始めました。一方、政府は「帝都復興計画」を掲げ、本格的な復興事業に乗り出します。しかし、復興した東京は20年足らずで、戦争によって再び焦土と化すことになります。
ここでは、「帝都復興計画」関係の資料と、震災後に出回った様々なパンフレットによって、大震災による惨劇から立ち上がろうとしていた当時の東京の姿をご紹介致します。
被害の記録
震災後まもなく発行された出版物からは、空前絶後の大災害を何とか記録に残そうとする人々の熱意が伝わってくる。
詔書
9月12日 市民の動揺を鎮めるため「帝都復興に関する詔書」が出された。
勅語に振り仮名を付けた文と、判り易い言葉に書き換えた文が併記されたパンフレット。
「流言飛語」によって惨害が増したという一節が注目される。
復興計画
9月23日 帝都復興院の設置が決定し、内務大臣後藤新平が総裁に任じられた。後藤は大規模な都市計画を構想したが、実際には大幅に縮小されることになった。
民間パンフレット等
地震によって人々の生活は根底から覆されて混乱し、罹災者向けのパンフレットが出版された。精神的な支えを与えようとする宗教団体の活動も目立つ。
上記3点は法律問題に関するパンフレット。特に借地・借家に関するものが多い。
上記2点はバラック(簡易住宅)生活の手引き書である。震災が起きたのが9月であったため、不自由な生活のまま冬を越すことになり、罹災者の健康状態が危ぶまれた。
上記3点は宗教団体によるパンフレット。各々の立場から精神面での立ち直りを呼びかけている。
子供たちの復興精神を鼓舞しようと、このような唱歌が作られた。