野村吉三郎関係文書
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憲政資料室 作成
- 受入事項
- 所蔵
- 資料形態
- 原資料
- 数量
- 1,328点
- 書架延長
- 8.5m
- 旧蔵者
- 野村吉三郎 (のむらきちさぶろう)
- 旧蔵者生没年
- 1877-1964
- 旧蔵者出身地
- 和歌山
- 旧蔵者履歴
- 1877.12.16和歌山生まれ。和歌山中学・海城中学を経て1898.12海軍兵学校卒業(26期)、1901.5~02.5イギリス出張(三笠回航)、1903.9大尉・常盤分隊長、1904.10済遠航海長、1905.1京城丸航海長、1905.6高千穂航海長、1905.11海兵教官、1906.10橋立航海長、1907.12千歳航海長、1909.3~10.5オーストリア駐在、1910.5~11.8 ドイツ駐在、1911.9音羽副長、1912.6軍務局員、1913.2海軍省副官兼海相秘書官、1914.12アメリカ大使館付武官、1918.9帰朝、1918.10八雲艦長、1918.11出仕兼参謀(パリ講和会議全権随員)、1919.8帰朝、1920.4海軍省副官、1921.9~22.3ワシントン会議全権随員、1922.6軍令部3班長、1923.9第1遣外艦隊司令官、1925.4出仕、1925.9教育局長、1926.7軍令部次長、1928.12出仕、1929.2練習艦隊司令官、1930.1出仕、1930.6呉鎮守府長官、1931.12横須賀鎮守府長官、1932.2第3艦隊長官、1932.4上海にて爆弾で負傷、右眼を失う、1932.6軍事参議官、1932.10横須賀鎮守府長官、1933.3大将、1933.11軍事参議官、1937.3予備役、1937.4学習院長、1939.9~40.1阿部内閣外相、1941.2駐アメリカ大使、1942.8帰国、1942.12免官、1944.5~46.6枢密顧問官、1946.8~52.3公職追放、1953.3日本ビクタ一社長、1954.6~64.5参議院議員、1964.5.8死去。
- 受入
- 2008年4月、個人より寄贈。2008年4月公開。
- 主な内容
- 書簡の部と書類の部に分類。年代としては、書簡・書類ともに戦前期の資料は比較的少なく、1950年代~60年代の資料が多い。書簡は米国の海軍関係者など外国人からの来簡および野村吉三郎による英文書簡草稿が多い。また日本人からの書簡は戦後のものが大半である。書類には日記・手帳、スクラップ類、戦前期や再軍備関係の覚書、参議院議員時代の書類、著作・伝記、葬儀関係書類、写真などが含まれる。
- 検索手段
- 複製
- 次の資料はマイクロフィルムで利用。資料番号1~108, 180~184, 374, 407~433, 725, 736, 737, 744-41~42, 761~782, 784, 787, 789~838, 880, 882~883, 897, 899~902, 909, 929~936, 944, 945, 951, 967, 968
- 関連文献
- 【資料紹介】
- 三輪宗弘「野村吉三郎」『近現代日本人物史料情報辞典』吉川弘文館、2004(同書第3巻に当資料群を紹介する追加情報(三輪宗弘・Peter Mauch執筆)あり)
『思いだすまま』野村吉三郎、1963(当資料群所収:野村吉三郎関係文書971)
『米国に使して日米交渉の回顧』(付録:日米交渉関係参考文書)野村吉三郎、岩波書店、1946 - 【伝記】
- 『野村吉三郎』木場浩介編、野村吉三郎伝記刊行会、1961
『追憶野村吉三郎』野村忠、1965