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齋藤鎮男関係文書

更新
憲政資料室 作成

受入事項
所蔵
資料形態
原資料
数量
198点
書架延長
2.5m
旧蔵者
齋藤鎮男(さいとうしずお)
旧蔵者生没年
1914-1998
旧蔵者出身地
東京
旧蔵者履歴
1914.7.5東京生まれ。1937高等試験外交科合格、1938.3東京帝国大学法学部政治学科中途退学、1938.4外務省入省、1949.6政務局政務課長、1950.8政務局情報部報道課長、1952.5在米シアトル領事、1955.8情報文化局第一課長、1956.7日ソ国交正常化全権団随員、1957.6総理府事務官兼任・岸信介首相訪米随員、1959.2在英大使館参事官(1959.4兼ロンドン総領事)、1962.9在タイ大使館公使、1963.11外務省国際連合局長、1964.8在インドネシア特命全権大使、1967.1外務大臣官房長、1969.12在オーストラリア特命全権大使(1972.8フィジー、同.11ナウル大使兼轄)、1973.8国際連合日本政府代表部特命全権大使、1976.5米国特派大使(ロッキード事件)、1976.9依願免本官、1976.10フォーリンプレスセンター理事長(1984.8~顧問)、1977.4財団法人アジア太平洋研究会理事長、1977.6宮内庁御用掛、1978.8ユネスコ国内委員会委員、1978.10日豪・ニュージーランド協会会長、1980.6国連大学理事、1982.4青山学院大学国際政治経済学部教授、1986.2国連行財政効率化のための賢人会議委員、1989.9日本国際マングローブ協会会長、1990.4国際マングローブ生態系協会副会長、1994.4国立横浜国際会議場館長、1998.12.20死去。
受入
2024年8月、個人より寄贈。2024年9月19日、公開。
主な内容
外交官時代の公務写真・アルバム等をはじめとして、吉田茂首相の依頼により齋藤らがまとめた調書である『日本外交の過誤』等の外務省関係の書類、退官後の執務資料や旧蔵書等を含む。
整理の方法
写真・アルバムと書類・書簡その他の資料に大別し、それぞれ旧蔵者の履歴に基づいて、おおむね年代順となるように配列した。
検索手段
関連資料の所在
妻・齋藤明子(旧姓荒木)関連資料が名古屋大学国際経済政策研究センター情報資料室にあり
関連文献
【資料紹介】
田口三夫著『アジアを変えたクーデター:インドネシア9・30事件と日本大使』時事通信社,1984.2
(この文書に含まれる写真を多数掲載)
【本人著作】
『オーストラリア通信』国際開発ジャーナル社,1971
『国連の窓から』日本国際連合協会,1976
『私の軍政記:インドネシア独立前夜』日本インドネシア協会,1977.3
『国際連合論序説』新有堂,1977.11-1978.6
『国際連合の新しい潮流 : 国際秩序の構造変化への対応』新有堂,1979.5
『日本外交政策史論序説:外交教訓の史的研究』新有堂,1981.4
『太平洋時代:太平洋地域統合の研究』新有堂,1983.8
『国際連合の新しい潮流:国際秩序の構造変化への対応 改訂増補版』東京新有堂,1984.7
『太平洋時代の新しい潮流』東京新有堂,1985.9
『国際連合論』新有堂,1986
『国際連合の新しい潮流 : 国際秩序の構造変化への対応 続』 新有堂,1991.5
『外交:私の体験と教訓』サイマル出版会,1991.7