本文に飛ぶ

Headquarters 20th Air Force 20th Bomber Command Mission Reports 1944-1945 / Headquarters 20th Air Force 21st Bomber Command Mission Reports 1944-1945

更新
憲政資料室 作成

(1) Headquarters 20th Air Force 20th Bomber Command Mission Reports 1944-1945
(2) Headquarters 20th Air Force 21st Bomber Command Mission Reports 1944-1945

資料群名(日本語)
(1) 第20航空軍第20爆撃軍団作戦任務報告書/(2) 第20航空軍第21爆撃軍団作戦任務報告書
請求記号
(1) YF-A23/(2) YF-A24
資料形態
(1) デジタル画像(国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開)/ (2) デジタル画像(国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開)
数量
(1) 66アイテム/(2) 212アイテム
主言語
英語
旧蔵機関名
Headquaters Twentieth Air Force
歴史
第20爆撃軍団と第21爆撃軍団は、いずれもB-29による重量爆撃の戦略的任務を遂行するために統合参謀本部の直轄下に設置された第20航空軍(司令部ワシントンDC、司令官はヘンリー・アーノルド(Henry H. Arnold)陸軍航空隊司令官の兼務)隷下の部隊。
第20爆撃軍団は、本州西部、九州、満洲への爆撃が可能な中国(成都)を前進基地(本拠地はカルカッタ)とし、1944年6月5日にタイのバンコク、15日に九州の八幡製鉄所に対して最初の爆撃を行った。日本本土の心臓部が爆撃可能となるマリアナ諸島を奪取した後の1944年10-11月には、同諸島を基地とする第21爆撃軍団が展開可能となり、爆撃機は、補給に問題があった第20爆撃軍団から、第21爆撃軍団に移された(第20爆撃軍団は1945年5月動員解除)。
第21爆撃軍団は、1944年11月24日にサイパンから東京郊外(中島飛行機武蔵野工場)への最初の爆撃を行った。
原所蔵機関
米国国立公文書館(RG18)
受入
当館では、「米国戦略爆撃調査団文書:第20、第21爆撃軍団作戦任務報告書」(憲政資料室所蔵 USB-5)には含まれていない作戦任務報告書を2005年度に収集した。また、上記(2)の未収集分を2010年度に追加収集した。(1)、(2)ともに2021年度にデジタル画像を公開した。
検索手段
関連資料
関連文献