日本-旧外地法令の調べ方

第二次世界大戦以前の日本において、大日本帝国憲法施行以降に日本の統治下に置かれた台湾、朝鮮、樺太(南樺太)、関東州、南洋群島の地域は、外地と称されていました[i]
これらの地域では、既に存在する慣習法や制度を無視できない等の事情から、日本本土(以下「内地」[ii]と呼ぶ)と同一の法令をそのまま適用することが困難であったため、外地法と呼ばれる法体系が形成されました。
大日本帝国憲法には外地に適用すべき法令についての定めがなかったため、外地に施行すべき法令に関する法律である「外地法令法」が、台湾、朝鮮、樺太(南樺太)についてそれぞれ制定されました。この「外地法令法」のように外地に特に施行する目的で制定された法律は、直接外地に施行され、そのほかの外地に施行する必要がある法律については、勅令によりその全部又は一部を施行することとされました。
一方、関東州及び南洋群島においては、これらが租借地ないし委任統治地域である関係上、「外地法令法」は制定されず、専ら勅令により立法権が行使されました。
また、上述のように内外地間、外地間の法制が異なることとなったため、法令の適用関係を定めることを目的とした「共通法」(大正7年法律第39号)、「所得税法人税内外地関渉法」(昭和15年法律第55号)などのいわゆる内外地関渉法も制定されました。
外地に適用される法令としてはこれらの法律・勅令のほか、台湾総督・朝鮮総督が定める律令・訓令、外地官庁が定める総督府令・庁令等がありました。これらは各外地官庁が発行する公報により公布され、一部は『官報』及び『法令全書』にも掲載されました。
なお、台湾、朝鮮、樺太(南樺太)、関東州、南洋群島の地域に対する日本の主権は、「日本国との平和条約及び関係文書」(昭和27年条約第5号)により全て放棄されました。

1.外地各地の法令

1.1.台湾及び朝鮮

台湾及び朝鮮の法制は、年代順に以下の法令で規定されていました。
(台湾)
「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」(明治29年法律第63号)
「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」(明治39年法律第31号)
「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」(大正10年法律第3号)
(朝鮮)
「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル件」(明治43年勅令第324号)
「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」(明治44年法律第30号)
台湾及び朝鮮では、上記の法令により、総督にその管轄区域内に法律の効力を有する命令(台湾:律令、朝鮮:制令)を発する立法権が付与されました。ただし、台湾については、大正10年法律第3号の施行以降、特に必要な場合のみ律令によることができることとされ、内地法の施行が原則とされました。
なお、省令等に相当するものとして台湾総督府令・朝鮮総督府令、府県令に相当するものとして州令及び庁令(台湾)・道令(朝鮮)がありました。
台湾及び朝鮮の法令・判例資料としては以下のものがあります(公報類は「3.外地官庁が発行した公報類」、官報は「4.官報・法令全書」を参照)。なお、司法機関として台湾総督府法院、朝鮮総督府裁判所が置かれていました。(【 】内は当館請求記号。以下同じ。)
(台湾)

1.2.樺太(南樺太)

樺太(南樺太)の法制は、「樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律(明治40年法律第25号)により規定されました。台湾・朝鮮と異なり、樺太(南樺太)では委任立法の制度は認められず、内地の法律が勅令により施行されました。このため、特定の事項については勅令で特別の定めをすることができることとして、現地の実情に適合しない不都合を緩和する方策が採られました。
また、「司法ニ関スル法律ヲ樺太ニ施行スルノ件」(明治40年勅令第94号)により、「裁判所構成法」(明治23年法律第6号)が施行されたため、内地と原則として同一の司法制度となっていた点も他の外地と異なります。
なお、昭和18(1943)年4月1日に「明治四十年法律第二十五号(樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル件)廃止法律」(昭和18年法律第85号)が施行され、樺太(南樺太)は内地と原則として同一の法制となり内地に編入されました。
樺太(南樺太)の法令資料としては以下のものがあります(公報類は「3.外地官庁が発行した公報類」、官報は「4.官報・法令全書」を参照)。

1.3.関東州、南洋群島

これらは我が国が統治権のみを有する地域であったため(関東州は租借地、南洋群島は国際連盟の委任統治領)、外地に特に施行する目的で施行された法律以外の法律の施行はなく、法律で定めることを要する事項は勅令をもって規定される慣例でした[iii]
なお、省令等に相当するものとして、関東都督令、関東庁令、関東局令、南洋庁令等[iv]がありました。
関東州、南洋群島の法令資料としては以下のものがあります(公報類は「3.外地官庁が発行した公報類」、官報は「4.官報・法令全書」を参照)。司法機関として法院が設置されていましたが判例集は所蔵しておりません。
(関東州)

2.「法律の依用」について

外地では、実質的に内地の法律と共通性を有する内容を規定する場合には、内地に行われる法律に「依る」べき旨を定めることがしばしば行われました。これが「法律の依用」であり、外地法独自の規定の仕方と言えます。
「法律の依用」を行った律令・制令、勅令は、内容が同一であっても依用される内地の法律とは別個の存在であり、法律の効果が直接外地に及ぶものではありませんでした。このため、内地の法律に改正があった場合には、特別な規定がある場合を除き、改正後の法律が適用されることとする律令・制令、勅令がそれぞれ定められました[v]

3.外地の官庁が発行した公報類

台湾総督府

統監府

  • 統監府公報』【CZ-12-A-2】(複製版)
    1 - 167号 (M40/01 - 43/08)

朝鮮総督府

樺太庁

  • 樺太庁公報』【YB-351(新聞カウンター:欠号状況は不明)】(樺太日日新聞、マイクロフィルム)
    T13以前(『樺太日日新聞』の『樺太庁公報』欄に掲載され刊行されました。)

  • 樺太庁報
    【YB-351(新聞カウンター:欠号状況は不明。 全く収録されていない時期も有ります。欠多数。)】(樺太日日新聞,マイクロフィルム)
    T14/01 - S5/07(『樺太日日新聞』の別冊として刊行されました。T14/01-S2/03は、一部の号外は『樺太日日新聞』に収録されました[1]。)

  • 樺太庁公報』【YB-351(新聞カウンター:欠号状況は不明)】(樺太日日新聞、マイクロフィルム)
    S05/08以降(『樺太日日新聞』の『樺太庁公報』欄に掲載され刊行されました。S05/08-S14/06は『樺太時事新聞』(当館未所蔵)にも掲載されました[2])。

  • (『樺太庁報』)【Z8-3752(複製版)(雑誌カウンター:1-14号)】【CZ-12-C-H1(17, 19, 21-44号)】
    S12/05創刊の『樺太庁報』は、樺太庁の政策等の解説・紹介や樺太の産業・文化に関する研究意見を紹介した公報誌です。
    記事の1つとして前月分の樺太庁公報の集録がありました。
    15号(S13/07)から樺太庁公報集録部分は分冊されました。
    S14/01に『樺太時報』と改題され、樺太庁公報集録部分は引き続き『樺太庁報』として刊行されました。
    樺太庁公報集録の所蔵は、
    1-14, 17, 19, 21-44号(S12/05 - 13/06, 13/09, 13/11, 14/01 - 15/12)

関東都督府

関東庁

  • 関東庁庁報』【CZ-12-D-1】
    19 - 715号(S02/02 - 06/12)のごく一部の号

関東局

  • 関東局局報』【CZ-12-D-2】
    1045 - 1323号(S17/08 - 19/05)のごく一部の号

南洋庁

外地の地方公報

台湾

<県の部>

台北県
台中県
台南県

<庁の部>

台北庁
基隆庁
深坑庁
宜蘭庁
桃仔園庁
桃園庁
新竹庁
苗東庁
台中庁
彰化庁
南投庁
斗六庁
嘉義庁
鹽水港庁
台南庁
蕃薯寮庁
鳳山庁
阿猴庁
恆春庁
台東庁
花蓮港庁
澎湖庁

<州の部>

台北州
新竹州
台中州
台南州
高雄州

<市の部>

台中市
新竹市
台北市
台南市
高雄市
基隆市
宜蘭市
彰化市
嘉義市
屏東市
花蓮港市

※請求記号の後の番号は付属のリールガイドをもとにまとめた『台湾各縣廳州市報 : マイクロフィルム版』のリール番号。

朝鮮

※以下はいずれも広報誌ですが、各号の「公文」欄に条例、訓令、告示などが掲載されています。

大邱府
釜山府
平壌府
京城府

関東州

大連市
  • 大連市公報』132-403号(S8/01−S19/09)(欠:133,138,184号)【CZ-12-D-3】

4.官報・法令全書

外地官庁の命令は、一部が下表のとおり官報・法令全書に掲載されています。ただし、官報には公布日より1~3カ月ほど遅れて掲載され、年の後半に公布された法令は制定年でなく翌年の官報に掲載されている場合があります。法令全書については制定年のものに掲載されています。

律令・制令府令・庁令訓令告示(一部のみ)
台湾総督府昭和19年制定分まで原則昭和16年制定分まで収録無し昭和16年制定分まで
朝鮮総督府昭和20年制令第2号まで原則昭和16年制定分まで原則昭和6年制定分まで昭和16年制定分まで
樺太庁(大正6,7年はごく一部のみ)
大正6年から昭和16年制定分まで大正6年から昭和7年制定分まで大正6年から昭和16年制定分まで
関東州(関東都督府、関東庁、関東局)
昭和16年制定分までほとんど収録無し(関東局は収録無し)昭和16年制定分まで
南洋庁
昭和16年制定分まで原則昭和7年制定分まで昭和16年制定分まで

上記以外では、各外地官庁の「告諭」、統監府の「府令」「告示」、関東局に設置された在満教務部の「在満教務部令」の一部が収録されています。

[i] 「外地」という名称が常用されるようになったのは昭和4(1929)年、拓務省が設置された頃からである(外務省条約局 編.『外地法制誌. 第2巻(外地法令制度の概要)』. 文生書院, 1990.11【AZ-641-E8】pp.1-2)。

[ii] 「内地」「外地」の定義は様々だが、ここでは以下の定義を用いる。

「内地」...帝国議会で制定された法律が直接施行される地域

「外地」...内地と異なる法体系を持った地域

[iii]外務省条約局 編. 『外地法制誌. 第1巻 (外地関係法令整理に関する善後措置について.日本旧領域に関係のあった条約)』文生書院, 1990.11【AZ-641-E8】p.32.

[iv] 他に在満州国大使館が発令した在満教務部令がある。関東州においては、明治39(1906)年9月に関東都督府が設置され、その後、大正8(1919)年4月に関東軍が分離し関東庁となった。満州国発足に伴い、昭和9(1934)年12月に在満州国大使館に関東局が設置され、関東局の下、関東州には関東州庁が設置された。

[v] 以下の律令、制令、勅令による。

  • 「律令ノ規定ニ依リ本島ニ適用セラルル法律ノ改正アリタルトキノ効力ニ関スル件」(明治32年律令第21号)
  • 「制令ニ於テ法律ニ依ルノ規定アル場合ニ於テ其ノ法律ノ改正アリタルトキ効力ニ関スル件」(明治44年制令第11号)
  • 「関東州ニ於ケル勅令ニ於テ法律ニ依ル規定アル場合ニ於テ其ノ法律ノ改正アリタルトキノ効力ニ関スル件」(明治44年勅令第249号)
  • 「南洋群島ニ行ハルル勅令ニ於テ法律ニ依ルノ規定アル場合ニ於テ其ノ法律ノ改正アリタルトキノ效力ニ関スル件」(大正11年勅令第130号)