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文書・図像類

〈備後〉太白行脚帒 : 太白行脚帒

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〈備後〉太白行脚帒 : 太白行脚帒

資料種別
文書・図像類
著者
太白克酔 : タイハクコクスイ
出版者
-
出版年
1674
資料形態
ページ数・大きさ等
6
NDC
-
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資料に関する注記

一般注記:

タイトル注記:原題簽左肩双辺「〈扶桑/寛文〉〈備/後〉太白行脚帒〈上/一(上/二・中/一・中/二・下/一・下/二)〉」(角書の「扶桑/寛文」は上欄円内にあり、一部破損あり)。内題・柱題「行脚帒」。朽葉色表紙。巻1の二十七丁落丁。四周単辺10行22字。訓点入り。語注入り(本文枠の外側に語注欄あり)。本...

資料詳細

内容細目:

禅僧による紀行漢文集。漢詩を交える。本文を適宜区切り、見出しを施す。寛文10年春、自ら「行脚之帒」を帯び、二親の霊を弔うために「五七歳」(5~7年)寓居した「備陽之城南」(備後福山)を船で出発。海路大坂に至り、住吉・天王寺に参詣。石清水八幡、万福寺、興聖寺を経て入京。都では両親の菩提を弔うため、工に...

解題・解説:

序跋なし。巻首「克酔述」。巻末余白に刊記「延宝二甲寅年五月上浣板行/荒木利兵衛」。(提供元: デジタルアーカイブシステムADEAC)

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書誌情報

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資料種別
文書・図像類
タイトルよみ
ビンゴタイハクアンギャブクロ・タイハクアンギャブクロ
著者・編者
太白克酔 : タイハクコクスイ
出版年月日等
1674
出版年(W3CDTF)
1674
数量
6
27.0/19.5
本文の言語コード
jpn
対象利用者
一般
一般注記
タイトル注記 : 原題簽左肩双辺「〈扶桑/寛文〉〈備/後〉太白行脚帒〈上/一(上/二・中/一・中/二・下/一・下/二)〉」(角書の「扶桑/寛文」は上欄円内にあり、一部破損あり)。内題・柱題「行脚帒」。
朽葉色表紙。巻1の二十七丁落丁。四周単辺10行22字。訓点入り。語注入り(本文枠の外側に語注欄あり)。本文及び題簽の版下文字は縦画の太い、やや奇なる筆蹟。○著者は禅僧(曹洞宗)。国書人名辞典によれば、下総結城の安穏寺十八世。元禄13年10月24日没享年不詳。著書『曹洞護国弁』(延宝4年成、版:(宝永6年版)永平寺)、『洞上古轍口弁』(天和3年頃刊、版:駒沢)、『夏山草』(延宝3年自序、版:香川大神原)。中之二巻「成像」に自伝的記述あり、それによれば「常州尿子坡郡」の生れ。4歳で父を喪う。天目山に登り鶴山師の弟子となり、9歳で薙髪、15歳で遊学、30歳で母を喪う。母は平方氏(上之二巻「平方」条)。万治2年正月頃は江戸「芝水浜」「万松下」(万松山泉岳禅寺か)に隠棲(中之二巻「伊勢参宮」条)。○本書の版本は外に駒沢、日比谷諸家。○中之二巻、「関之清水」の直前に「弔僧罹咎/捨命放身〓{肉月・薄}木斜 風吹不淬弊加沙 嗚呼昨日如今日 天上人間還捧華」詩あり。
カテゴリ名 : 無し
資料の種別 : 仏教 宗派
資料の分類 : 和書-仏教 宗派 禅宗
公開範囲 : デジタルコンテンツなし