一般注記中山定親は室町時代中期(1401~1459)の公卿で、父は正二位権大納言中山満親、母は伊予守満貞の娘。故実家として知られ永享8(1436)年武家伝奏となる。嘉吉3(1443)年権大納言となり弾正尹を兼ねる。文安3(1446)年正二位に叙されたのち辞職し、同5年出家した。法名祐繁。「薩戒記」は定親の日記で「定親卿記」「霜台(ソウタイ)記」等ともいう。記名「薩戒」は「さだちか」の唐風反名(カエシナ)であり、「霜台」は弾正台の唐名で兼官弾正尹によったもの。応永25(1418)年からはじまるが、日次記(ヒナミキ)は嘉吉3(1443)年までで、欠落が多く、完存する年次は応永32(1425)年、同33年の2年間。ただし抜書・部類記・文書案等を含めれば、文安5(1448)年までに及ぶ。幕府と将軍に関する記述も多く足利義持・義教期を知る重要史料の一つである。本書は、応永25(1418)年から永享11(1439)年で欠落多く、抄・部類・抜書等を含む。表紙は薬袋紙(室町時代以来、薬袋に用いられた特殊な紙で敷物や書物の表紙にも使われた)。
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