価格競争は恒常的に生じるものであり,技術革新やコスト低下を踏まえれば,それ自体は売り手の利益を圧迫するものではない。価格は重要なマーケティングミックスの1つであり,価格への過度の依存は避けるべきであるが,企業努力によるコスト圧縮を背景にするなど,利益を圧迫しない限りは有効な競争手段として活用することに問題はない。一方,買い手ニーズへの対応とはほとんど関係なく,売り手間で値下げが繰り返されることで,価格水準が大きな幅と急激な速さで低下していく状況は,価格競争に対して価格戦争と呼ばれる。価格戦争は,多くの売り手にとっては消耗戦の傾向が強くデメリットの方が大きい。価格戦争は売り手にとってプラスの側面もあるが,極端な値下げの応酬から利益を享受できる売り手は一部に限られる。また,価格競争は積極的に行われるべきではあるが,それが行き過ぎた状況は,必ずしも社会的に好ましい結果は生まない。価格戦争に関わる研究は,主にその発生リスクを高める状況を中心テーマとしてきた。価格戦争の発生リスクを高めるような競争環境についての議論は,価格戦争発生の警戒情報を提供するという点では実務的にも有益ではあるが,売り手にとってコントロールが難しい要素を対象とした議論でもある。また,学術的観点から言えば,研究の検討範囲は比較的限定されてきた。価格戦争は突発的事象であり,それをどのように回避すべきかについて検討されることは多くはない。価格戦争の回避にあたってはマーケティング手法の適用が必要となるが,知覚品質差の拡大やブランドロイヤルティの強化などに限られ,策は少ないとされる。また,価格戦争が発生すると,囚人のジレンマゲーム的状況において事態収拾は困難となる。本研究の目的は,価格戦争の発生から収束までのプロセスを明らかにし,価格戦争への対応を検討することにある。価格戦争に関しては,その構造といった基本部分について,ほとんど整理されていない。本研究が発生・収束プロセスに焦点を当てるのは,それによって,価格戦争回避のために売り手にとってコントロール可能な要素を探るためである。もちろん,価格戦争に対して売り手が出来ることは限られている。しかしながら,価格戦争の発生頻度は海外と比較すると日本は多いとされ,その点において価格戦争は国内企業にとって重要課題であり,本研究のテーマは実務的にも十分に意義のあることだと考える。本論文の各章の内容は次の通りとなる。第1章では,問題意識・研究の視点・研究の目的を述べ,研究のフレームワークを提示し,論文の構成について説明した。以降の各章の位置づけを示す。第2章では,先行研究を整理し,価格戦争の特徴と,価格戦争発生の背景について検討した。本論では,価格戦争は競合の目標達成を防ぐこと,競合を排除することに価格コントロールの目的がシフトする状況であること,このようなシフトの背景には,売り手間の相互反応の過程で生じる意思決定者のネガティブな感情的変化があることを示した。第3章では,価格戦争が売り手にもたらす影響と結果に焦点を当て,価格戦争に関する実態調査と,実験に基づく実証分析を交えて,価格戦争のプラス面とマイナス面を整理した。その上で,価格戦争から利益を享受することが出来る売り手の条件について検討し,コスト優位性・規模の経済性を有しているか,ローエンドのポジションにいることが条件になることを示した。第4章では,価格戦争の先行要因として,意思決定者の合理的判断を歪めてしまうようなヒューマンバイアスの存在に焦点を当て,価格戦争に繋がるような合理的意思決定を歪める要素の1つとして,売り手は価格感度を過剰に見積もる傾向があることを指摘した。その上で,売り手と買い手間には価格意識のギャップが存在することを,小型自動車とスーパーマーケットを対象とした2種類の実証分析から検討した。第5章では,価格戦争の発端に焦点を当て,値下げ反応の強さ・速さを規定する要因とその構造を実証分析により検討した。結果,「自社へのマイナス影響」「競合製品・サービスの戦略的重要性」が知覚された時には値下げ反応は攻撃的になりやすいこと,意思決定にあたり「競合反応を予測する」「競合の施策の背景を考察する」売り手ほど攻撃的な値下げは行わない傾向があること,「販売量志向が強い」「買い手の価格感度を高く推定している」「競合に対して知覚している脅威が強い」売り手ほど攻撃的な値下げを行いやすいことを示した。第6章では,価格戦争の収束に焦点を当て,価格戦争収束のタイプを示すとともに,価格戦争を収束させる方法について検討した。価格戦争の収束はいずれかが値上げに転じるなど,ファーストムーバーの存在が収束のきっかけとなるが,そのような行動がさらなる攻撃を誘発し,価格戦争はさらに泥沼化することもある。本論では,ファーストムーバーの動きを競合がどのように解釈するか次第で,収束可能性は変わってくることを実験に基づく実証分析により明らかにした。第7章では,本研究の要約と,本研究の結果を踏まえて価格戦争の回避策を述べた。また,Appendixでは,本文において触れている9つの価格戦争の発生例に関し,その詳細を紹介した。価格戦争に関わる研究分野における本研究の主な寄与は,次の3点である。(1)価格戦争の発生・収束プロセスを明示した。価格戦争はマーケティング分野においても触れられてはきたが,それがどのようなプロセスを経た事象なのかについては具体的には検討されてこなかった。本研究では,価格戦争に関わる研究の他,コンフリクト,企業行動,意思決定等の各研究分野における議論を整理することで,価格戦争の発生から収束までの一連のプロセスを明示した。(2)価格戦争は,意思決定者・組織の判断能力や感情的側面に結び付いた事象であることを指摘した。価格戦争は,比較的短期間で価格水準を大幅に低下させていくといった,必ずしも合理的とは言えない売り手の行動を背景とする。本研究では,価格戦争とは,競合を排除することに価格コントロールの目的がシフトする売り手間の衝突であり,その発生から収束のプロセスは,企業の行動原理に結びついた事象というよりも,その判断能力や感情的側面に結び付いた事象であることを指摘した。(3)価格戦争を回避するにあたり,コントロールすべき要素を示した。本研究では,差別化とは異なる観点から,価格戦争の回避について論じた。価格戦争の発生・収束プロセスを踏まえ,自社の過剰反応を抑えるとともに,競合の過剰反応を招かないよう,競合に与える脅威をコントロールすべきであること,したがって,競合の判断ミスを招かない工夫をすることが価格戦争の予防には重要であること,価格戦争収束を意図する施策においても,競合がそれをどのように解釈するかを踏まえることが必要であることを指摘した。
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