Degree Type博士(日本語日本文学)
Doctor of Philosophy in Japanese Language and Literature
Note (General)本論文は、序論、本論(3章12節)、結論という構成で、現存する限り最も古い長編物語である『うつほ物語』を子どもの観点から考察し、文学史に位置付けようとするものである。『うつほ物語』は、『源氏物語』に先立つ長編物語であるが、その文学史的意義は低くみられることが多かった。物語の内容についても矛盾点が多く、物語の内容を鑑賞し読み解いてゆくには、まずはその矛盾点を解消する必要があった。『うつほ物語』の研究が本格的に始まった近世から戦前にかけては、錯簡した巻の序列の整理や本文の制定、語句の注釈が主であった。戦後になり、昭和25年(1950)に宇津保物語研究会が発足すると、『うつほ物語』の研究は飛躍的に進むようになる。この時期の研究は、本文の内容の矛盾点を解消し合理的に解読するための成立過程研究や構想論が中心であった。また、前田家本の本文が翻刻され、著しく研究が進んだ。しかし、このような成立過程研究や構想論は、成立時期を想定した上で成立するものであり、推測の域を出ないものであることも否定できない。1970年後半以降の研究は、この成立過程研究を批判的に継承し、物語内部に立ち入った論が中心となった。このような物語の内容を解釈する研究は、現在でも多くのすぐれた論考が登場している。しかし、個々の論は増えたものの、依然としてその作品内部を全体からみるものは、『源氏物語』などに比べて少ない現状にある。成立過程や構想論では、物語全体を通した研究が多かったが、どうしても成立時期の事情を想定したものであることは否めない。本論文では、成立時期に焦点を合わせて一元的に『うつほ物語』の全体を捉えるのではなく、今ある物語の全体がどのように形作られているか、子どもに焦点を合わせて論じた。序論では、先行研究の成果、問題点を確認し、本論文の目的を提示した。第1章「子どもの流離―前半部における子」では、父から忘れられた子を中心に、子と流離の関係、親子の別離の問題を考えた。第1節「俊蔭の流離」では当時の遣唐使による文化的享受や危険性を検討した上で俊蔭の流離を確認し、親子の別離が物語の基調になってゆくことを論じた。第2節「仲忠の流離」では、複数の妻子を持つ男が、その他の妻子たちを忘れてゆく様子を「俊蔭」巻における仲忠母子の流離、また「蔵開・中」巻、「楼の上・上」巻に語られる兼雅のその他の妻子たちの流離を確認することで考察した。第3節「忠こその流離」では、母以外の妻を持つ父と子どもとの関係を、第二節と関連させつつ論じた。第4節「実忠・真砂子君と「巣」「卵」「雛」」では、あて宮求婚譚において父に忘れられていた真砂子君の問題を「巣」や「卵」、「雛」に関する歌ことばに注目して論じた。第5節「親子関係における「恋ふ」「恋し」」では、それまで男女関係において多く用いられていた「恋ふ」「恋し」ということばが、『うつほ物語」では親子関係に多く用いられるようになることを確認し、『うつほ物語』において親子の別離が大きく取り上げられていることを、ことばに注目して考えた。第2章「子どもの救済―後半部における子」では、子が親や親族にどのように位置付けられてゆくかを確認し、親や氏族と子との関係を検討した。第1節「いぬ宮と「巣」「卵」「雛」」では、いぬ宮の産養において、いぬ宮の誕生がどのようなことばで祝われているか確認し、いぬ宮と親族との関係について論じた。また、第2節「いぬ宮と母女一の宮」では、いぬ宮が母女一の宮を慕っていることに注目し、父方の一族の一員として論じられることが多かったいぬ宮が、母方の一族の一員としても和歌によって位置付けられていたことを指摘した。第3節「子どもを「抱く」「膝に据う」」では、子どもを「抱く」「膝に据う」ことで「家」や氏族、親、親族さらには親族以外の大人たちが子どもを自らの側に引き込もうとする姿を確認した。第4節「文使の童」では脇役として捉えることのできる文使の童に注目し、子どもを掌握することが、どのような意味を持つのか考える。第5節「舞を舞う童・女童」でも引き続き、脇役として登場する子どもに注目し、舞を舞う童や女童が後半部において掌握、分散される様子を確認した。第2章は、子が親や氏族などにどのように位置付けられているか確認したが、同時にそうした大人たちの思惑を子どもが意図なく覆そうとしている姿をも論じた。第3章「総論『うつほ物語』における子」では、第1章、第2章を通じて確認した子の流離と救済の問題が、物語全体を通してどのように機能しているのか考えた。第1節「物語全体における子どもの流離と救済」では、父や母のいない人物たちが、どのように流離し救済されてゆくか、物語全体を通して概観した。第2節「後半部における子どもの流離と救済」では、第一節の結論をもとに、後半部における子どもを取り上げた。後半部の子どもたちは、前半部の子の動きと連動するかのように、「家」や親との関係が危うくなってしまいそうになる。しかし、それが杞憂に終わり、「家」や親子の連帯がますます強くなる様子を論じた。結論では、本論文のまとめをおこない、そこから浮かび上がった問題点、課題を提示した。
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Date Accepted (W3CDTF)2021-05-16T23:51:55+09:00
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