外国語への道しるべ ―幕末・明治の辞書類―
言語の異なる者同士が交流するとき、相手の言語を学び、理解する必要が生じます。翻訳と呼ばれる営為は、現在でこそ整えられた辞書・単語帳・会話練習で行うことが可能ですが、明治の初めは「註釈書もなければ辞書もなく、教師もいないという状況で、実に五里霧中だった」(1)と箕作麟祥が懐古談で述べているように、大変な作業でした。
本展示では、江戸時代のオランダ語の辞書・文法書をはじめ、開国後に新たに交流が始まったイギリス・フランス・ドイツ・ロシアの辞書類をご紹介します。先人たちが使用した辞書や、外国辞書を参考に作成した辞書類をご覧ください。
I. オランダ語の学習と辞書
江戸時代、長崎・出島に来日したオランダ人と交流したのは、オランダ通詞と呼ばれる通訳官でした。彼らは代々世襲で役職を受け継ぎ、幼い頃から通詞になるためにオランダ語を学びました。オランダ通詞が開いた塾では、多くの蘭学者が学びました。オランダ語の学習には辞書は必要ですが、その編纂は江戸と長崎の2箇所で行われました。「ハルマ蘭仏辞典」を基にした辞書には、オランダ商館長と通詞が協力して作成した『ヅーフ・ハルマ』(長崎)、蘭学者の稲村三伯によって作成された『波留麻和解』(江戸)があります。このほかにも、オランダ語を学ぶための文法書も作成されました。ここでは勝海舟の学習書も含めてご紹介します。
初めの一歩、オランダ語学習教科書!
Syntaxis, of woordvoeging der Nederduitsche taal
勝海舟も利用した、江戸ハルマの縮訳版
勝海舟の学習帳
II. 英語の辞書の成り立ちと学習
英語の学習は、文化5(1808)年のイギリス船フェートン号の長崎侵入事件を機に始まりました。幕府は文化6年、オランダ通詞に英語の学習を命じます。しかし、本格的な英語学習は、開国後の安政五ヵ国条約等により、外交文書にオランダ語ではなく、相手国の言語を使用するように求められてからです。安政6(1859)年の開港・開市により、英語への関心が一層高まり、文久2(1862)年には本格的な英和辞典『英和対訳袖珍辞書』が出版されました。本展示では、幕末・明治の英語辞書を A)蘭和辞書を根源とする蘭学系、B)英語辞書による英語系、C)英華字典を基にする英華系、に分けてご紹介します。あわせて、英語学習に必要な文法書・単語帳・読本もご紹介します。
「英和対訳袖珍辞書」の明治2年版(A)
棚橋編纂の「和訳字彙」と並ぶ辞書(A)
薩摩辞書と呼ばれた「英和対訳袖珍辞書」第4版(A)
「英和対訳袖珍辞書」改訂版。片かなの発音表記(A)
ウェブスターの実用的辞書(B)
ナトール系の辞書(B)
明治最初の本格的英和辞書(B)
英華字典を元にした辞書(C)
明治初めの英語語彙集
幕末の英語語彙集
慶應義塾の英語入門書
大学南校の英語入門書
III. 幕末・明治のフランス語・ドイツ語・ロシア語辞書
ここでは英語以外の辞書をご紹介します。松代藩医の村上英俊は、独学でフランス語を習得し、フランス語辞書『仏語明要』を著しました。明治初期まで仏文翻訳上の必須辞書となります。ドイツ語辞書は他の国より遅れ、明治5(1872)年から『孛和袖珍字書』を始め5種類の辞書が作成されました。ドイツ帝国が成立し、医学分野でも大学東校(後の東京大学医学部)がドイツを範とし、軍制面でもフランス式からドイツ式へと変わったことでドイツ語学習の必要性が高まったことを物語っています。
一方、ロシアでは、日本人漂流民を教師として日本語研究が進められ、18世紀中葉には辞書や文法書等が作成されていました。『和魯通言比考』はロシアで刊行された、世界で最初の日露辞書です。明治になると蘭学者・緒方洪庵の子、緒方惟孝により『魯語箋』が著されました。