満川亀太郎関係文書

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憲政資料室 作成

受入事項
所蔵
資料形態
原資料
数量
1,590点
書架延長
4.5m
旧蔵者
満川亀太郎 (みつかわかめたろう)
旧蔵者生没年
1888-1936
旧蔵者出身地
大阪
旧蔵者履歴
1888.1.18大阪生まれ。小学校に通う傍ら1902.2日本銀行見習に就職(~1904.9まで在職)。1902.3京都市立第4高等小学校卒。1904.10吉田中学校第3学年へ入学。1906.11京都私立清和中学校第5学年に転学。1907.3清和中学校卒業。1907.4早稲田大学第1高等予科入学。このころ『民声新聞』主筆。1909早稲田大学中退。1909.9日本大学法科入学。1910.12日本大学法科退学。その間『海国日報』主筆となる。『大日本』編集者などをへて、1918老壮会を結成、ついで1919.8大川周明、北一輝らと猶存社を結成。1921『奪はれたる亜細亜』出版、1923.2猶存社解散、1924.10東洋協会大学(拓殖大学)講師就任、1925行地社結成(1926に脱退)、1930興亜学塾開塾(1932頃興亜学塾脱退)、1933拓殖大学教授。1935『三国干渉以後』刊行。1936.5.12.死去。
受入
2007年4月、個人より寄贈。2007年5月2日公開。
主な内容
書簡は北一輝、大川周明、西田税、上泉徳弥など国家主義運動関係者のほか、中川小十郎、本田義英ら立命館関係者のものが数量が多い。書類では、満川の原稿や講演会関係の資料のほか、長期間にわたる日記が残されている。また、満川が関与した国家主義団体の資料も多く残されている。
検索手段
複製
次の資料はマイクロフィルムで利用。資料番号26-1~3, 118-1~2, 153, 156-1~3, 157, 168-1~2, 176, 179, 260, 262~274, 426, 531, 596~607, 779, 780, 837~950
関連資料の所在
満川亀太郎関係資料(拓殖大学)
「むつ市文化財収蔵庫」(青森県)に大湊開港関係資料あり
書簡、書画、古文書、アルバム、図書資料(早稲田大学図書館蔵)
関連文献
【資料紹介】
クリストファー・スピルマン「満川亀太郎関係文書に含まれる拓殖大学関連の資料」『拓殖大学百年史研究』10、2002(当資料群ではなく、拓殖大学所蔵分の満川資料紹介)
長谷川雄一「満川亀太郎」『近現代日本人物史料情報辞典』、吉川弘文館、2004(同書第4巻に追加情報あり)
今津敏晃「満川亀太郎関係文書」『国立国会図書館月報』557、2007.8
長谷川雄一「満川亀太郎」「近現代史の人物史料情報」『日本歴史』827、2017.4
【資料集(翻刻)】
満川亀太郎 著、長谷川雄一・C.W.A.スピルマン・福家崇洋編『満川亀太郎日記』論創社、2011
長谷川雄一・C.W.A.スピルマン・今津敏晃編『満川亀太郎書簡集』論創社、2012
【伝記】
拓殖大学創立百年史編纂室編 『満川亀太郎』上・下 拓殖大学、2001
【本人著作】
『三国干渉以後』満川亀太郎著・長谷川雄一編・解説、論創社、2004