Jump to main content

宮崎弘道関係文書

更新
憲政資料室 作成

受入事項
所蔵
資料形態
原資料
数量
1,344点
書架延長
5.7m
旧蔵者
宮崎弘道 (みやざきひろみち)
旧蔵者生没年
1921-2001
旧蔵者出身地
東京
旧蔵者履歴
1921.7.25東京生まれ。1944.9東京帝国大学法学部卒、外務省入省(政務局3課)、1945.9終戦連絡中央事務局第1部第1課、1946.4外務事務官、1947.6調査局第2課、1950.3通商局(通商産業事務官)、1952.4サンフランシスコ領事館副領事、1953.1アメリカ合衆国大使館勤務(3等書記官)、1954.3経済局3課、1958.5米州課、1958.12ジュネーヴ代表部、1962.5経済局国際機関課長、1964.5経済局国際機関1課長、1966.6兼経済局国際機関2課長、1966.7経済局経済統合課長、1967.9参事官、OECD日本政府代表部、1971.3ベルリン総領事公使、1972.9経済局長。1973ECAFE第29回総会代表代理、GATT閣僚会議代表代理、1975エネルギーに関するワシントン会議代表代理。1976.1官房審議官、1976.3駐アルジェリア特命全権大使。アルジェリア大使時代、ダッカ日航機ハイジャック事件が起こり、ダル・エル・ペイダ空港において日航機の受入れに奔走、1977.12外務審議官、1978第4回主要国首脳会議(ボンサミット)、1979第5回主要国首脳会議(東京サミット)においてシェルパをつとめる、1980.1駐OECD日本政府代表部特命全権大使、1980~83IEA理事会議長、1982.1駐ドイツ連邦共和国特命全権大使。1985ドイツで行われた第11回主要国首脳会議(ボンサミット)において主催国駐在大使として尽力。1986外務省退官、第一勧業銀行顧問に就任、1989HFSP会長就任。1990、1985より評議員をつとめたベルリン日独センター総裁に就任(1995.3まで)、1993第1回日独対話フォーラム合同会議日本側議長、2001.9.18死去。
受入
2008年10月、個人より寄贈、2008年11月6日公開
主な内容
シェルパをつとめた第5回主要国首脳会議(東京サミット)関連資料17点や、駐独大使時代(1982~86年)の大使館資料のほか、任期中におこなわれた第11回主要国首脳会議(ボン・サミット)関連資料等。昭和18~25年までの日記と昭和7年から晩年までの手帳(途中断絶あり)を含む日記、手帳類。自筆原稿を含む論文や講演録の原稿。その他に宮崎宛書簡を含む。
検索手段
関連文献
【その他著作】
『宮崎弘道オーラル・ヒストリー(元外務審議官、元駐西ドイツ大使) : オーラル・メソッドによる政策の基礎研究/C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト 』御厨貴・政策研究大学院大学、 文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書 2005