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下村定関係文書(その1)

更新
憲政資料室 作成

受入事項
所蔵
資料形態
原資料
数量
235点
書架延長
1.5m
旧蔵者
下村定 (しもむらさだむ)
旧蔵者生没年
1887-1968
旧蔵者出身地
石川
旧蔵者履歴
1887.9.23石川生まれ。1908.5陸軍士官学校卒、1908.12砲兵少尉、1911.12砲兵中尉、1916.11陸軍大学校卒業、1917.10参謀本部付、1918.7参謀本部員、砲兵大尉、1919.3フランス駐在(フランス陸大卒)、1922.9参謀本部員(作戦課)、1923.8砲兵少佐、1925.8野砲第7連隊大隊長、1926.8陸軍大学校教官、1928.1参謀本部付仰付(フランス・ドイツ派遣)、1928.3砲兵中佐、1929.6ジュネーブ軍縮会議委員、1930.8参謀本部部員、1931.4兵器本廠付(国連軍縮準備委員会幹事)、1931.8砲兵大佐、1931.12ジュネーブ軍縮会議全権随員、1933.12野戦重砲兵第1連隊長、1935.3関東軍参謀、1935.12陸軍大学校研究部主事、1936.11少将、1936.8参謀本部第4部長、1937.9参謀本部第1部長、1938.1参謀本部付、1938.9東京湾要塞司令官、1939.3中将、1940.8陸軍砲工学校長、1941.9陸軍大学校校長、1942.10第13軍司令官、1944.3西部軍司令官、1944.11北支那方面軍司令官、1945.5大将、1945.8~12東久邇宮内閣・幣原内閣陸軍大臣、1945.8~10兼教育総監、1945.12廃官、1946.2~47.5勾留、1959.6~65.7参議院議員、1968.3.25交通事故により死去。
受入
2007年2月、個人より譲渡
主な内容

(1)下村定宛・下村定発信書簡、日記・手帳(1939~68年)、招待状(皇族関係の園遊会など)、陸軍関係書類(特に陸相時代)、参議院時代書類、下村葬儀の際の弔辞、履歴資料(辞令他)、写真、新聞・雑誌、伝記など。
(2)下村定宛書簡は通数が少なく(宇垣一成他)、書簡の大部分は、家族宛(妻芳子宛や娘節子宛)の下村定発信書簡である。北支那方面軍司令官時代および巣鴨プリズン収容中の書簡が多い。
(3)日記・手帳は1939~68年(欠あり)まで比較的まとまって残っている。
(4)陸軍関係書類としては下村が最後の陸相として陸軍の解体にあたった時期に集中する。「陸軍軍人軍属に告ぐ」(陸相就任直後に行ったラジオ放送)や1945年11月(第89帝国議会)の答弁関係資料、後年の回想(パンフレット「今上御聖徳の一端」1967年他)などがある。
(5)写真は1933年大演習時の写真、下村が参謀本部第1部長時代の御前会議写真など戦前陸軍軍人の集合写真を中心とするが、下村に贈られた陳公博やウィロビーなど外国人の肖像写真も若干ある。
(6)新聞・雑誌は2つの系統からなる。ひとつは下村が陸相として行った1945年11月の帝国議会での演説を評した記事である。他方は下村の晩年の執筆記事であり、大型の張り紙「故下村将軍御遺徳を近き御遺稿にしのんで」も同時に残されていることから、何らかの機会に下村の死を悼んで集められたものと推定される。
(7)伝記的な性格の資料としては、「征戦閑話」(下村著、1942~43年)と死後に出版された『聖将の面影』(1969年、本資料群所収)がある。
検索手段
関連資料の所在
関連文献
【資料紹介】
長南政義「下村定」『近現代日本人物史料情報辞典』第3巻、吉川弘文館、2007(同書第4巻に追加情報[「下村定関係文書(その2)」の情報]あり )