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なゐふる―地震を科学する―

日本において学問としての地震研究が始まるのは明治時代。研究の初期に中心となったのは、お雇い外国人でした。彼らが帰国した後は、日本人の研究者に受け継がれ、日本に根ざした近代地震学が築かれていきます。

1923年、恐ろしい被害をもたらした関東大震災は、日本の地震学にとって大きな画期となりました。それまでの研究方針への反省をもとに、そこからの脱却を目指した新たな一歩を踏み出します。

※古代においては、地震は「なゐ」と呼ばれ、地震が起こることを「なゐふる」と表現しました。
※以下では、自然現象としての「地震」と、そこから生じる被害や二次災害を含めた「震災」を区別して記述します。

近代地震学の黎明

日本地震学会の創立

1880(明治13)年2月に発生した横浜地震を契機として、日本地震学会が設立されました。中心になったのは、ミルン(John Milne: 1850-1913)、ユーイング(J.A.Ewing: 1855-1935)ら在京の外国人教師や外国人技術者たちでした。当時、ヨーロッパでは地震波を使った地球内部構造の研究が行われていましたが、地震が頻発する日本では、地震という自然現象の解明そのものに重点がおかれました。今日、P波・S波と呼ばれている二種類の地震波の発見や、精度の高い地震計の開発など、後の地震学の基礎となる成果がもたらされました。

濃尾地震と断層原因説

地球の内部構造の解明が進んでいなかった19世紀には、断層は地震の結果生じたものであり、原因ではないと考えるのが主流でした。1891年、濃尾地方で大規模な地震が発生し、大きな被害をもたらしました。このとき地表に現れた根尾谷断層を調べた小藤文次郎(1856-1935)は、現在の岐阜県から福井県にかけて存在する巨大な断層線を発見し、濃尾地震は「断層ニ依テ起ル地辷じすべり地震ナリ」と結論づけました。

震災予防調査会設立と歴史調査の進展

濃尾地震の甚大な被害を受け、政府は、地震学会のメンバーでもあり、当時帝国大学理科大学学長であった菊地大麓(1855-1917)の建議に基づいて、1892 年「震災予防調査会」を組織することにしました。かねてより地震学に貢献のあった関谷清景、小藤文次郎、長岡半太郎(1865-1950)、田中館愛橘(1856-1952)らのほか、建築学の辰野金吾(1854-1919)らも加わり、地震に関する歴史的、統計的調査や建築物の耐震構造の調査研究などに取り組みました。この頃、日本地震学会は、外国人会員の相次ぐ帰国にともない当初の勢いを失いつつあり、「震災予防調査会」に後を譲るように解散しました。

大日本地震史料

允恭天皇5(416)年から慶応元(1865)年に及ぶ、日本の地震や津波に関する古い記録を収集したもの。地震の時間的、地理的分布を知るために戦後も活用され、地震予知、噴火予知の発展に大きな役割を果たしました。

大日本地震史料 増訂第1巻

昭和期に武者金吉(1891-1962)により大増補され、『増訂大日本地震史料』第一〜第三巻として刊行されました。

大森地震学

1897年、大森房吉(1868-1923)が震災予防調査会の幹事に就任しました。以後、1923年の関東大震災に至るまで、大森は地震学の権威として、精力的に研究に取り組みました。膨大な調査会報告書の大半は、幹事である大森の手によって書かれたと言われています。そのため、この時期の地震学はしばしば「大森地震学」と呼ばれます。

同時期に活躍した今村明恒(1870-1948)は、大森より3歳年下で、濃尾地震に刺激を受けて地震研究を志したと言われています。大森が関東大震災直後に急逝するまで、20年余にわたって助教授の地位に甘んじなくてはなりませんでしたが、地震予知に情熱を注ぎ、地形変動と地震発生の関係の調査・研究など、今日なお評価される業績を残しています。

地球物理学者志田順の功績

地球物理学の礎を築いたのが志田順(1876-1936)です。『震災予防調査会報告』中の膨大な数の論文から、観測地点に最初に到達する地震波には、震源に向かって進む波と遠ざかっていく波の二種類があり、その二種類の波が観測される地点の分布には規則性があることを発見しました。また、月と太陽の引力による地球の変形を調べ、地球及び地殻の剛性を算出した研究でも世界的に評価されています。1929年には積年の功績により日本学士院恩賜賞を受賞。受賞に際し、一連の研究をふりかえり、執筆されたのが本論文です。

東京大震災予告騒ぎ(大森房吉 vs 今村明恒)

1905(明治38)年9月、今村明恒は、雑誌『太陽』に「市街地に於る地震の生命及財産に対する損害を軽減する簡法」と題する論稿を発表しました。その中で、江戸時代に千人以上の死者を出した大地震が「平均百年に一回の割合に発生し、而して最後の安政二年以後既に五十年を経過したるのみなれば、尚ほ次の大激震発生には多少の時期を剰すが如しと雖も、然れども慶安二年後五十四年にして、元禄の大激震を発生したる例あれば、災害予防のことは一日も猶予すべきにあらず」と述べ、当時の東京に大地震が起きた場合の被害を予想しました。

この内容が、翌1906(明治39)年1月16日の東京二六新聞に「大地震襲来説―東京市大罹災の予言―」と題した記事によってセンセーショナルに報じられ、「丙午の年は火災が多い」という俗説と結びついて世人の不安を煽る結果になりました。

当時、地震学の権威であった大森房吉は、騒ぎを収めるため、その年の3月に「東京と大地震の浮説」という記事を雑誌『太陽』に発表し、近い将来大地震が東京を襲うという説は、「根拠なき空説」であって「学理上の価値は無きもの」と力説しました。これに対し、今村は少なからぬ不満を抱いたようです。

それから17年後の1923年に関東大震災が起り、その直後に大森が没しました。1926年、今村は『地震の征服』を著し、20年前の自らの東京大震災の被害予測が妥当であったこと、そして地震の予知と震災の予防に対する変わらぬ信念について再度強調しました。

一連の論争は、それまでの地震学の成果と予防についての知識を大衆に広めるのに少なからず役立ちましたが、一方で、当時の地震学研究の限界を浮彫りにすることにもなりました。

関東大震災の衝撃、そして・・・

1923(大正12)年9月1日に発生した関東地震(関東大震災)は、マグニチュード7.9という巨大地震でした。地震発生が正午直前であったため、昼食の準備のために火を用いていた家庭や飲食店などから火災が発生し、死者・行方不明者あわせて約10万5千人という史上空前の被害をもたらしました。犠牲者の9割は火災でなくなったとされています。

震災予防調査会

震災予防調査会による関東大震災の調査記録です。写真や図を多く含み、全5冊で「地変及津波篇(乙)」「地震篇(甲)」「建築物篇(丙)」「建築物以外ノ工作物篇(丁)」「火災篇(戊)」があります。これまで重要視されなかった地球物理学的見地に基づいた分析が数多くなされています。
報告書が出された1925年に地震研究所が設立され、震災予防調査会は発展的解消を遂げます。

従来の地震学への反省と転換

関東地震が起こった時、大森はシドニーに出張しており、現地の地震観測所の計測した記録でその発生を知りました。急ぎ帰国した大森ですが、かねてからの病が悪化、まもなく帰らぬ人となります。彼が築いてきた明治・大正期の地震学は、統計と地震計測に重きをおくものでした。作成された記録類の価値は、地震研究にとって決して小さいものではありませんでしたが、一般の人々は、関東地震を予測できなかった地震学に不満を抱くようになります。学界も、これまで欠けていた地球物理学的方面から自然現象としての地震を追求することと、震災防止関係の研究をさらに進めること、若手の研究者を育成することの必要性を痛感していました。

「地震研究の方針」長岡半太郎

物理学者の長岡は、地学的・物理的見地からの地震研究を長年主張してきましたが、震災前の地震学界では受け入れられることはありませんでした。この論文では、旧来の地震学を鋭く批判し、研究方針を一新させるべきであると述べています。

地震研究所設立

1925年11月、東京帝国大学構内に地震研究所が設立されました。中心となったのは、工学者の末廣恭二(1877-1932)と物理学者で文学者でもあった寺田寅彦(1878-1935)です。地震研究所では、地震学の基礎的研究と震災防止の研究に重点を置き、全国の理学、工学の権威が主任となって、次々と若手に研究の機会を与えました。中央気象台でもウィーヘルト式地震計による地震観測を強化し、物理学的見地からの地震研究を進めました。他には、東京帝国大学に地震学科が新設され、京都帝国大学や東北帝国大学でも地震研究が深められていきました。

今村明恒は、震災の後、人の力の及ばない自然現象である「地震」と人的努力で防止できる「震災」を区別し、震災防止策を展開しました。幅広い研究分野で活躍した寺田寅彦も災害防止には強い関心を抱いており、震災に限らず様々な災害について言及しています。「防災」という言葉は寺田によって創られました。

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