Henry Lewis Stimson Diaries

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憲政資料室 作成

資料群名(日本語)
ヘンリー・スティムソン日記
請求記号
DHS-1
資料形態
マイクロフィルム
数量
9巻
主言語
英語
主な内容
スティムソン42歳の1909年から1945年9月陸軍長官を退くまでの公職にあった時代の日記(Volumes 1-52)。例外的に若干の手書きの部分があるが、全52冊がタイプ打ち。
資料の構成
Reel 1
1909 - September 28, 1928 (Volumes 1 - 8)
Reel 2
1926、September 28, 1928 - March 21, 1930 (Volumes 6A, 9 - 13)
Reel 3
March 22, 1930 - October 30, 1931 (Volumes 14 - 18)
Reel 4
November 1, 1931 - October 3, 1932 (Volumes 19 - 23)
Reel 5
October 4, 1932 - December 31, 1938 (Volumes 24 - 28)
Reel 6
January, 1939 - July 31, 1941 (Volumes 29 - 34)
Reel 7
August 1, 1941 - October 31, 1942 (Volumes 35 - 40)
Reel 8
November 1, 1942 - April 30, 1944 (Volumes 41 - 46)
Reel 9
May 1, 1944 - September 21, 1945 (Volumes 47 - 52)
旧蔵者
Henry Lewis Stimson
生没年
1867-1950
履歴
1888イェール大学卒、1890ハーバード・ロー・スクール卒、1891.6ニューヨーク ウォールストリートの法律事務所に入る、1906.1ニューヨーク南部地区連邦検事長、1911.5-1913.3陸軍長官、1927-1929.2フィリピン総督、1929.3-1933.3国務長官、1930ロンドン海軍軍縮会議米国代表、1932.1.7日中間の武力による領土変更を認めないというスティムソン・ドクトリンを発表、1933弁護士業を再開、1940.7-1945.9陸軍長官、日系人の西海岸地域からの強制退去、原子爆弾開発計画・使用の決定に関与、原爆の京都への投下に反対、1945.9引退。
満洲事変から日本の国際連盟脱退までの極東情勢への対応についての回顧録である“The Far Eastern Crisis: Recollections and Observation” (1936)、ハービー・バンディの息子のマクジョージ・バンディ(McGeorge H. Bundy)がスティムソンと共同で執筆したスティムソンの伝記として、“On active service in peace and war” (1948)がある。本書にはスティムソンの日記・文書が各所で引用されている。原爆投下に対するアメリカ世論の批判を沈静化するために原爆投下決定に至るまでのことを書いたスティムソンの手記として、“The Decision to Use the Atomic Bomb”(Harper's Magazine, Feb. 1947: 97-107)がある。
原所蔵機関
イェール大学図書館マニュスクリプト及び文書館(Manuscripts and Archives, Yale University Library)
受入
この文書はScholarly Resources社がマイクロフィルム化して市販している。当館では、1983年度に購入した。
検索手段
  • マイクロフィルム付属の目録(憲政資料室内備付冊子目録)
  • Guide to the Henry Lewis Stimson Papers (PDF file)外部サイト
    ※イェール大学大学作成のfinding aid。イェール大学大学が所蔵する“Henry Lewis Stimson Papers”全体に対するfinding aidであり、本マイクロフィルムに収録されているのはそのうちDiariesの部分(Series ⅩⅣ)のみである。
関連文献