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Records of Japan, Tokyo Embassy, Records of Japan, Tokyo Consulate General and Records of Office of the U. S. Political Advisor for Japan, Tokyo

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憲政資料室 作成

資料群名(日本語)
在日米国大使館領事館・政治顧問部文書
請求記号
FSP
資料形態
マイクロフィッシュ
数量
4,107枚
主言語
英語
主な内容
1936-1941年の東京の大使館の通信、1936-1941年の東京の総領事の通信、1938-1941年日本の各領事館の通信の写し、1945-1952年の政治顧問部・GHQ/SCAP外交局の通信、1950-1952年の政治顧問部・外交局の文書。
なお、在外公館の十進分類法は、国務省本省のセントラル・ファイルの十進分類法とは若干異なるところがある。1912年から使われていたが、戦後、在外公館で発生する文書量が増大したのに対応して、1949年から分類方法が変わっている。
資料の構成
(1) 1936-1941年の東京の大使館の通信(Japan, Tokyo Embassy, General Records, 1936-1941, Correspondence)
年ごとに東京の大使館(大使)の通信(発・来信)を在外公館の十進分類法に従って分類番号順に採録した革背表紙で製本された簿冊を撮影したもの(1941年は未製本)。各簿冊の巻頭には、分類番号ごとに通信のキーワード(人名、件名)を掲げた目次が付されている(1941年はなし)。通信は、日本国内の各領事館、国務省本省からの来信が多い。
(2) 1936-1941年の東京の総領事の通信(Japan, Tokyo Consulate General, General Records, 1936-1941, Correspondence)
東京の総領事の通信(発信・来信)。(1)と同じく年ごとに十進分類法に従って分類番号順に採録した革背表紙で製本された簿冊を撮影したもの。(1)と違い、目次は付されていない。
(3) 1938-1941年日本の各領事館の通信の写し(Japan, Tokyo Consulate General, Supervisory Correspondence, 1938-1941)
東京の総領事から日本国内の領事館への通牒、日本国内の領事館(横浜、神戸、名古屋、大阪、長崎、大連、京城、台北)が国務省に送付した報告書やその他の発信文書の東京の総領事用写し。
(4) 1945-1952年の政治顧問部・GHQ/SCAP外交局の通信(Office of the U.S. Political Advisor for Japan, Tokyo, Classified General Correspondence, 1945-1952)
政治顧問部・GHQ/SCAP外交局の秘密扱いの通信(発・来信)を在外公館の十進分類法に従って分類番号順に採録した簿冊・ファイルを撮影したもの。
1945-1948年の十進分類法では、0門 雑、1門 合衆国政府行政、2門 犯罪人引渡し、3門 利益保護(人的・物的)、4門 請求権、5門 国際会議・国際条約、6門 通商、通商関係、7門 国家関係、8門 国内事情。
(5) 1950-1952年の政治顧問部・外交局の文書(Office of the U.S. Political Advisor for Japan, Tokyo, General Records, 1950-1952)
1950~1952年の政治顧問部・GHQ/SCAP外交局の秘密扱いでない通信(発・来信)を在外公館の十進分類法に従って分類番号順に採録したファイルを撮影したもの。対日講和条約に関する日本人からの書簡、など。
旧蔵機関名
Japan, Tokyo Embassy, Tokyo Consulate General, and Office of the U. S. Political Advisor for Japan, Tokyo
歴史
1941年時点で在日の米国在外公館としては、東京の大使館のほかに、内地の横浜、神戸、長崎、大阪、名古屋と外地の京城、台北、大連に領事館が置かれ、駐日大使は、1932年6月から1941年12月まで9年半にわたり、グルー(Joseph C. Grew)がつとめた。1941年12月日米開戦により在日の米国在外公館は閉鎖された。
占領開始とともに、国務省は、外交官アチソン(George Atcheson Jr)をマッカーサーの臨時政治顧問(Acting Political Advisor)に任命し、1945年9月6日には任命について陸軍長官の了承を得、東京に政治顧問部(Office of the U. S. Political Advisor for Japan)が開設された。政治顧問は、以後、GHQ/SCAPにおける国務省代表の役割も担うことになった。
同年10月、政治顧問部は、マッカーサーの求めに応じて日本の政治運動と政党事情についての週刊の研究報告Weekly Report on Political Partiesの編集・提出を開始した。しかし、政治顧問という名称のポストの存在を嫌うマッカーサーは、1946年4月、民政局の活動が軌道に乗りWeekly Reportの情報はもはや必要なくなったとして、政治顧問の任務を占領下の日本における外交・領事業務に限定するため、同月18日、GHQ/SCAP内に各国の外交団・領事事務所と総司令部や日本政府との間の連絡及び横浜ほかの領事館の運営等を担う専門部として外交局(Diplomatic Section, DS)を設置し(一般命令第18号)、その局長に政治顧問のアチソンをあてた。同時にマッカーサーは、アチソンを対日理事会における最高司令官の代理に指名し、その議長に据え、アチソンに対日理事会において米国の外交的利益を守るという新たな任務を与えた(一般命令第19号)。これ以降、政治顧問の肩書きは、GHQ/SCAP内では使用されず、国務省との間でのみ使用されることになった。アチソンが不慮の航空機事故で亡くなった後、1947年9月2日、シーボルト(William J. Sebald)がその地位を引き継ぎ(一般命令第16号)、1952年4月28日占領終了により同局が廃止される(一般命令第10号)までつとめた。
政治顧問部・外交局と国務省との間の通信は、GHQ/SCAP内の通常のルートを通って行わていたが、陸軍省・国務省の間で合意ができ、1950年5月から国務省と直接連絡をとりあうことができるようになった。
原所蔵機関
この文書は、主に国務省文書であることから、他のGHQ/SCAP文書とは別に扱われ、在日米国大使館に引き継がれ、その後、米国国立公文書館に移管された(RG84)。
受入
この文書は、当館が米国国立公文書館(NARA)でマイクロフィルムに撮影し、1994年度に受け入れた。
検索手段
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