本文に飛ぶ

Records of the U.S. Strategic Bombing Survey, Entry 52: Operations Reports and Statistical Summaries of the U.S. Army Air Forces and Bomber Commands in the Pacific

更新
憲政資料室 作成

資料群名(日本語)

米国戦略爆撃調査団文書:陸軍航空隊統計概報

請求記号

USB-4

資料形態

デジタル画像(国立国会図書館デジタルコレクション

数量

40アイテム(収集時のマイクロフィルムは3巻分)

主な内容

第5、第7及び第20航空軍による報告、概要報告並びに第20航空軍隷下の第20及び第21爆撃軍団による報告が含まれており、出撃機数、関連部隊数、攻撃目標数、損失航空機数、死傷者数、爆撃結果、天候、爆弾や弾薬の形状、消費燃料にいての情報がある。また、陸軍航空隊統計概要(Army Air Forces Statistical Digest, World War Ⅱ)のコピーが、このシリーズの最後におさめられている。これらの多くは、各航空軍の諜報部員や統計部隊によって作成された。

資料の構成

戦略爆撃調査団団長室作成の索引で、“Section 7. Japanese Target Intelligence”中の“2-e. Fifth Air Force Statistics and Summaries”から“2-i. ⅩⅩⅠ Bomber Command Statistics and Summaries”および“2-k. Army Air Forces Statistics and Summaries”とされている資料。詳細は以下の通り。以下のリンクをクリックすると「国立国会図書館デジタルコレクション」で資料の画像を閲覧できる。

2-e. Fifth Air Force Statistics and Summaries(第5航空軍)
2-f. Seventh Air Force Statistics and Summaries(第7航空軍)
2-g. Twentieth Air Force Statistics and Summaries(第20航空軍)
2-h. ⅩⅩ Bomber Command Statistics and Summaries(第20爆撃軍団)
2-i. ⅩⅩⅠ Bomber Command Statistics and Summaries(第21爆撃軍団)
2-k. Army Air Forces Statistics and Summaries(陸軍航空隊)
歴史

第5航空軍は、1942年4月にマッカーサーにより結成された米英蘭豪の航空隊からなる連合国南西太平洋地域空軍の中の既存の米軍部隊をもとに同年9月に動員された。1944年6月には主に南太平洋地域で活動していた第13航空軍が南西太平洋地域に加わり、第5、第7両航空軍を隷下に置く極東空軍が設置された。第5航空軍はラバウル、ニューギニア、ソロモン諸島、フィリピンでの戦闘に参加した。
第7航空軍は、オアフ島で1942年2月動員、動員から1945年7月14日まではチェスター・ニミッツ(Chster W. Nimitz)太平洋地域司令官(1943年11月まではハワイ軍管区直属)、1945年7月14日以降は極東空軍の隷下に置かれた。ミッドウェイ海戦、ギルバート諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島、パラウ・フィリピン、硫黄島、沖縄での各戦闘に参加し、1945年7月以降の沖縄基地から九州への空襲を行った。
第20航空軍は、B-29による重量爆撃の戦略的任務を遂行するために1944年4月統合参謀本部の直轄下に設置された。司令部はワシントンDCに置かれ、司令官はヘンリー・アーノルド(Henry H. Arnold)陸軍航空隊司令官が兼務した。同航空軍の設置時には、本州西部、九州、満洲への爆撃が可能な中国を前進基地(本拠地はカルカッタ)とする第20爆撃軍団を隷下に置いた。同爆撃軍団は1944年6月5日にタイのバンコク、15日に九州の八幡製鉄所を最初の爆撃を行った。日本本土の心臓部が爆撃可能となるマリアナ諸島を奪取後の1944年10-11月には、同諸島を基地とする第21爆撃軍団が第20航空軍に加わった。補給に問題があった第20爆撃軍団から、爆撃機は第21爆撃軍団に移された(第20爆撃軍団は1945年5月動員解除)。第21爆撃軍団は、1944年11月24日にサイパンから東京郊外(中島飛行機武蔵野工場)への最初の爆撃を行った。

関連資料
関連資料