伏見稲荷
JR京都駅から奈良線の各駅停車に乗りこみ、約5分で到着するのが、稲荷駅である。明治12(1879)年、京都から山科盆地東北端の大谷駅までが完成し、東海道線が仮開業したとき、稲荷駅は京都の次の駅だったが、今は東福寺をはさんで2駅目となっている。大正10(1921)年、東山トンネル開通に伴って東海道線のルートが変更されると、稲荷は東海道線からはずれ、奈良線の駅になった。朱塗りの鮮やかな構内には、旧国鉄関連最古の「ランプ小屋」が残り、準鉄道記念物となっている。また、ホーム脇には、明治25(1892)年11月着工、27(1894)年9月完成の琵琶湖疏水(鴨川運河)が線路と平行して流れている。
改札を出るとそこは、伏見稲荷大社の表参道であり、本殿へとまっすぐ道が延びている。そのさまは、錦絵でみても写真で見ても現在とかわらない。楼門の前にちょうど狛犬のように鎮座するキツネは、稲荷神の使女である。浄瑠璃『義経千本桜』において、子ギツネの化身である佐藤忠信が初めて登場するのが「伏見稲荷の段」となっているのも稲荷神とキツネの縁の深さゆえであろう。酢飯を油揚げに詰めた鮨を「稲荷鮨」と呼ぶのも、キツネが油揚げを好むとするところに由来する。
都名所之内 伏見稲荷社
京名所写真帖
伏見稲荷大社本殿の後ろにひかえる稲荷山は、東山三十六峰とよばれる、京都盆地の東を限る山々の最南端に位置する。拝殿から山頂にかけての参拝路には、朱の鳥居がトンネルのように連なる。約10,000万基にものぼる鳥居は、稲荷神への祈願と感謝を込めて全国から奉納されたものである。また、稲荷山には「神蹟」や「お塚」といった特定の個人や講による私的な拝所が点在している。
「お山巡り」「お山する」と称して稲荷山の御社を参詣することは、すでに平安時代からおこなわれており、『枕草子』の「うらやましげなるもの」の段には、「稲荷に、念ひ起こして詣でたるに、中の御社のほどの、わりなう苦しきを念じ登るに、いささか苦しげもなく、後れて来と見る者どもの、ただいきに先に立ちて詣づる、いとめでたし。」(1)とある。現代でも、正月と2月の初午(はつうま)は特に賑わい、数十万人の人出がある。(2)稲荷信仰は日本全国に及んでおり、ビルの屋上や宅地内の一隅にお稲荷さんが祀られているのを目にすることも多い。
本殿から京阪伏見稲荷駅へと向かう裏参道(神幸道)には、土産物屋が並ぶ。「伏見稲荷の近辺は、京都でも一番物価の安い所だ。伏見稲荷は稲荷の本家本元だから、ふだんの日でも相当に参詣者はある。京阪電車の稲荷駅から神社までは、参詣者相手の店が立並び、特色のあるものと言へば伏見人形、それに鶏肉の料理店が大部分を占めてゐる」(3)。こう書いているのは、JR稲荷駅の西側、現在の京都市伏見区稲荷鳥居前町に昭和12(1937)年2月から下宿していた作家坂口安吾である。伏見人形とは、奈良時代以前より深草の地に住み着いた土師部の埴輪や土器作りから始まったといわれる土人形である。稲荷山の埴土から作られ、その販路は畿内はもとより四国、九州まで広がり、博多人形、仙台の堤人形、信州の中野人形など、全国で約90あるという土人形の源流となっている。伏見人形と並ぶ稲荷名物は、スズメの背を開いて照り焼きにした「雀焼」で、参道を歩くと店先に並んでいるのを目にする。
安吾が下宿していたあたりには「師団街道」と呼ばれる道路が南北に通り、歩兵第三八連隊など陸軍第十六師団の駐屯地だった痕跡を今に残している。明治41(1908)年の師団移駐とともに、草深い農村であった深草は数千名の軍人でにぎわう町へと変貌を遂げ、昭和4年の伏見市誕生へと至ったのであった。
引用・参考文献
伏見稲荷大社 編『稲荷の信仰』(伏見稲荷大社 1951)
中村直勝 ほか著『お稲荷さん』(あすなろ社 1976)
京都新聞社 編集『稲荷総本宮伏見稲荷大社』(京都新聞社 1984)
『稲荷信仰の研究』(山陽新聞社 1985)
『深草・稲荷をたずねて 2版』(深草稲荷・保勝会 1987)
『深草・稲荷をたずねて 2版』(深草稲荷・保勝会 1987)
三好和義 ほか著『伏見稲荷大社』(淡交社 2004)
聖母女学院短期大学伏見学研究会 編『伏見学ことはじめ』(思文閣出版 1999)
聖母女学院短期大学伏見学研究会 編『伏見の現代と未来』(清文堂出版 2005)
聖母女学院短期大学伏見学研究会 編『伏見の自然と環境』(清文堂出版 2004)
聖母女学院短期大学伏見学研究会 編『伏見の歴史と文化』(清文堂出版 2003)
山折哲雄 編『稲荷信仰事典』(戎光祥出版 1999)
井上辰雄 監修ほか『日本文学地名大辞典 : 散文編 上巻』(遊子館 2003)
井上辰雄 監修ほか『日本文学地名大辞典 : 散文編 下巻』(遊子館 2003)
竹下数馬 編『文学遺跡辞典 詩歌編』(東京堂出版 1968)
竹下数馬 編『文学遺跡辞典 散文編』(東京堂出版 1971)
伏見稲荷大社社務所 編『朱』(伏見稲荷大社 1967)
西岡良博 著『琵琶湖疏水』(新聞印刷自費出版センター 1988)
京都市水道局技術本部浄水部疏水事務所 編『琵琶湖疏水 第6版』(京都市水道局 1992)
琵琶湖疏水図誌刊行会 編『琵琶湖疏水図誌』(東洋文化社 1978)
武島 良成『京都師団の日常--文献史料による「戦争遺跡」の検証』(京都教育大学紀要 / 京都教育大学 編 (108) 2006.3)