出初式でぞめしきは、現代の正式名称を消防出初式といい、新年初めに消防関係者が行う消防演習であり、仕事始めの行事です。パレードや梯子はしご乗り(梯子登り)等が行われますが、その歴史は江戸時代に遡ります。ここでは、出初式の歴史を少しご紹介しましょう。

江戸時代

出初式は明暦3(1657)年の大火を機に、万治2(1659)年1月4日に老中が定火消じょうびけし(幕府直轄の火消組織)を率いて上野東照宮前で出初を行ったのが始まりです。享保3(1718)年に町火消が設置されると、町火消たちは定火消をまねる形で1月4日に木遣歌きやりうたを歌い、梯子乗りなどを組の町内で「初出はつで」と称して行いました。

江戸幕府の大名への課役の一つであった大名火消では、加賀とびがよく知られています。加賀鳶は、加賀藩前田家の鳶職人で編成したお抱えの火消で、創設は町火消創設の1年前の享保2(1717)年で、彼らの目立つ火消装束と威勢の良さは浮世絵の題材にもなり、江戸の名物でした。加賀鳶の梯子乗りは、火事の折に高いところから周囲の状況を把握し、消火活動を助けたのが始まりといわれています。

浮世絵師の豊国が描いた『加賀鳶の圖』です。

加賀鳶の勇壮な行列は有名で、行列の足並みは特異なものがありました。左手と左足、右手と右足をそろえて進むのが伊達とされ、行列の後ろには小者と呼ばれた男性たちが梯子・水桶・竜吐水りゅうどすい(木製の手押ポンプ)等を運んでいます。

明治時代

明治維新により定火消・大名火消は廃止となり、出初式も中断しました。明治8(1875)年1月4日に、東京警視庁(後の警視庁)が消防組と改称した町火消すべてを丸の内の練兵場に集め、第1回消防出初式を挙行しました。
式典では大警視(現在の警視総監)の観覧のもと、第一大区一番組から梯子乗りを行ったようです。
明治9年には、明治天皇の天覧のもとに御所御車寄せ広場において出初式が行われました。

大正時代

大正時代になると、大正8(1919)年の出初式に初めてポンプ車が参加し、14年には梯子自動車が登場して皇居前広場で執り行われました。大正時代の出初式の様子は、『帝都消防出初式記念帖 大正15年1月6日』に収められた写真から窺うことができます。

昭和28(1953)年に出初式の実施日は1月6日になりました。そして現在も毎年行われています。一方大名火消として活躍した加賀鳶たちの梯子乗りは、現在も金沢市消防出初式に受け継がれ披露されています。

参考文献

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